山本 裕康 (やまもと ひろやす)
プロフィール
愛知県出身。桐朋学園大学で井上頼豊、秋津智承、山崎伸子の各氏に師事。在学中1987年第56回日本音楽コンクール第1位、第1回日本室内楽コンクール第1位など数々の受賞歴を持つ。同大学を首席で卒業後、桐朋学園研究科、キジアーナ音楽院等で研鑽を積む。1990年東京都交響楽団首席奏者に就任。1994年退職後広島交響楽団の客演ソロ奏者を経て1997年神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者に就任。加えて2014年4月より京都市交響楽団特別客員首席チェロ奏者に就任。
これまでに神奈川フィルハーモニー管弦楽団とハイドン、シューマン、グルダを初め多数の協奏曲をソリストとして共演し、そのどれもが好評を博している。サイトウ・キネン・オーケストラ、宮崎国際音楽祭、鹿児島天空音楽祭に毎年参加。その他にも弦楽四重奏団アンサンブル∞、オーケストラMAP’Sのメンバーとして、また室内楽の分野でも欠く事の出来ないチェリストとして多くの著名な音楽家と共演している。
チェロカルテットCello Repubblicaを主宰、チロット音楽祭の企画、宮川彬良氏と2人での教育プログラムのユニット等、活動は多岐に渡る。
2008年のバッハの無伴奏チェロ組曲全曲に続き、2012年に発表したアルバム『情景』はレコード芸術誌上で準推薦盤の評価を得た。
2013年4月より神奈川フィル定期演奏会プログラム誌上にてコラム「ヒロヤスのGRAZIOSOな神トーク」を連載中。
名古屋芸術大学客員教授、東京藝術大学、洗足学園音楽大学、各講師。
公式サイト:http://musiciansparty.jp/artist/yamamoto/
山本裕康さんにインタビューさせていただきました。
――チェロを始めたきっかけを教えて下さい。
弟が最初にヴァイオリンをやっていて、それを見てなんとなく弟と違う弦楽器を何かやってみようと思ったのが始まりです。父親が趣味でヴァイオリンをやっていて、ヴァイオリンは家に1台あったんです。僕はヴァイオリンには全く興味なかった。弟と同じ楽器は嫌だったし。
――何歳のときのお話ですか?
小学校3年生か4年生。10歳くらいかな。
――中学・高校でプロになろうと思われたのですか?
いやいやいやいや、高校なんて全然思ってないですよ。一応、行く大学がなくて色々探して音大にしたんですけど、桐朋(桐朋学園大学)に入ってからでも、卒業したら何やるんだろうっていうくらいでしたから。プロになるって言っても桐朋出て1割くらいの人しかなれないって言われてたので、無理だろうと思って。
――ソリストになろうと思われたりは?
いやいや、そんなソリストなんて絶対無理だと思ってましたし、オケに入るのだってやっぱりある程度のことはできなきゃいけないですし、オーケストラとして席が空いていないと入れない。だから、どれもこれも、絶対頑張っていればどうにかなるっていうものじゃないと最初から思ってましたから。
でも、できたらいいなとは思っていました。
――大学を卒業されて、キジアーナ音楽院に留学されたのですか?
あれは留学というよりは、長期間行ってたっていうくらいの。年間を通じては住んでないので。戻ってきてまた行ったりの繰り返しでした。1年とか2年くらいあちこちいろんなところをぶらぶらしてましたね。放浪の旅のような。
――山本さんはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番~6番の全曲を収録したCDを出されたり、演奏されたりしていらっしゃいますが、バッハの無伴奏チェロ組曲に対してこだわりや特別なものがありますか?
バッハって、5番とか6番とかはすごく難しいけど1番から3番までは、たぶんチェロを弾く人ならある程度弾けると思うんですよね。だけど、一番差がわかる。一番差がわかるって言ったら変ですが、まあある程度バッハを1曲弾いてもらえれば、問題点もわかるし、今何をしなきゃいけないかもわかるし、全部素っ裸になったような感じですよ。だからバッハを弾いて自分磨きをしていくしかないなと。左手のことに関しても右手のことに関しても、音に関しても、楽器の鳴らし方に関しても、全てバッハで出来ると思います。まあ、重音が難しいとか、コンチェルト的なことは別として、楽器を弾くっていうことに関しては、もうバッハしかないでしょ、と思います。
バッハを弾く時に感情がないわけではないですけど、感情入れて主張するなんて、100年早い!とか思う。ただバッハの無伴奏を「あ、いい曲だね、すごい曲だね!」って思ってくれる演奏は目指したいですけどね。
――バッハに限らず、目指したい演奏はありますか?
目指す演奏・・・
たぶん、目指す演奏がみつかる前に死ぬんだろうなと思ってます。
――深いですね・・・
実際、こういう演奏したいとか、今、ないんです。いや、ないっていうわけじゃないんですけど、最初は目指してましたよずっと。こういう演奏家になりたいとか。
とにかくその曲の魅力が最大限みんなに伝わるような演奏はしたいと思ってましたよ。“山本裕康っぽい”よね、とかじゃなくて。まあどうしたって“ぽく”はなるんですけどね。だけどそうじゃなくて「この曲ってほんといいよね」とか、別に僕は抜きにして、そう言ってくれる演奏は目指したいとは思ってましたけど。でも今は本当に、なんかもう、漠然としすぎちゃってて。
芸術とか、どんなこともそうだと思いますが、みんな、“高みを目指して”とか言いますよね。僕も高みは目指すんですけど、その山の高さもわからなければ、途中で雲がかかっていて、この先何メートルあるかもわからない。だけど、とりあえず、見えてるところは上がってるっていう感じ。それが正直なところですね。
ただ多くの人に、例えばドヴォコン(ドヴォルザークのチェロコンチェルト)ならドヴォコンを聴いたことがない人に、「感動しました」とか「あの曲すごい」って言ってもらえたなら、僕の仕事はある程度はよかったのかなと思います。うまく弾けた弾けないは別として、1人でもそういうお客様がいらっしゃるんだったら、1つこの曲を紹介できたなと、思ってる感じかな。
――毎日毎日楽器を弾くお仕事をされていて本当にすごいことだと思うのですが、どうしてそんなにテンションを維持できるのですか?
たぶん、それは演奏家として、演奏家に限らずアマチュアの人もそうですし、楽器に携わる人とか音楽に携わる人全員そうだと思うんですけど、結局何かって言ったら“音楽への信仰心”ですね。そうとしか考えられない。きた仕事を、例えばそれが1万円もらおうが、そんなことはないけど100万円もらおうが(笑)、たぶん演奏は変わらないと思うんですよね。1万円もらったときには手を抜いて、100万のときだけ頑張るなんてことは絶対出来ないと思う。だけどやっぱり練習はつらいし、練習しなきゃ弾けないから練習は続けるわけでしょ。でも全然弾けるようにならないとか、ある。もう、むかつく、とか、しょっちゅう思うんですけど、それでもとにかく人前で弾くっていうんだったらいくらもらおうがそれがタダだろうが、たぶん何にも変わらなく練習すると思うんです。それってなんだろうと思ったときに、“音楽への信仰心”だなと思ったんです。
まあ別に信仰心を持たなくてもいいけど、音楽に対してだけは、正直に生きるというか。やっぱり音楽にはなんの罪もないっていうことなんですよね。音楽に対してだけは正直にいようとか、そういう感じです。アマチュアだろうと音楽に携わるんだったらそこだけは忘れてほしくないなとは思うんですけどね、やるなら。
――だから一流なんですね。
いや一流でもないけど…。
――山本さんにとってチェロの魅力はなんですか?
チェロの魅力…もう音だけだろうなと思いますよね。うん、いい音。
誰も弾けない速さの曲をチェロで弾いたって、それは1回聴けばいい。「すっごいもん見ちゃったよ!」みたいな(笑)感じで。だけど、いい音だったら何回でも聴きたいだろうし。
――これまでにご出演された演奏会で印象に残っている演奏はありますか?
いくつかあって、最近で一番思ったのは、小澤征爾さんの指揮でサイトウキネンオーケストラがニューヨークに行ったときに演奏したブラームスの1番(通称「ブラ1」)ですね。
小澤さんはあのとき、体調が悪くてもうぶっ倒れて動けないくらい、本当に大変なときだったんです。そのときに、小澤さんはそんな大振りはしないんですけど、だけど音楽だけは勝手に増殖していった。ちょっとある種一種のトランス状態だった、みんな。あれはなんだったんだろうと思うぐらい。
――言葉にできないぐらいの感じですか?
できないできない。「この演奏はいったい何なんだろう、どうしてこんなふうになっちゃってるんだろう」って。“こんなふうに”って、良いふうにですよ。みんな感動しながら弾いてましたね。でも感動してたって言っても自分の演奏にではなく、音楽に感動してたんですよ。あんなにこれまで何度も演奏したブラ1に「なんでみんなあそこまでなっちゃうんだろう」っていうのはありましたね。
――それは小澤さんの音楽のもっていき方なんですか?
もっていき方っていうか、結局、やっぱり小澤さんの生きてきた背中をこっちは見ているわけですよ。その背中を見て、生き様を見てきて、音楽に対する姿勢も見てきて、そういう人が命掛けてやってることって何だろうと思いますよね。普通だったら絶対安静と言われてる状況なのに、人に支えられながら舞台上まできて、座って、腰も痛い、腕も痛い、それに熱は39度ある、肺炎に近いとか言ってもうほとんど何も食べられなくて、やせ細ってるのに、ブラ1を振りだしたら、さっきまで座ってたのに気付いたら立ってる!みたいな(笑)。大丈夫なのかなと最初心配しましたけど、でも小澤さんはここで死んでももう悔いはないんだろうなっていうぐらいに思えました。でも、そんな状況なのに小澤さんはいつもの小澤さんと変わらない。だったら、僕らはいつもそういう姿勢で演奏してるのかっていうことを問われた感じでしたよ。だから、そんな姿を見せられて、それでまたブラームスの1番って、超名曲ですしね。いろんなものが相まってそういう演奏になったんでしょう。あと、ブリテンの戦争レクイエム。あの難しい曲を、熱39度とか40度ある人が、暗譜で振ってまずくないかとか思いますよ。ちょっとあのすごさは尋常じゃなかったですね。
――ところで、お休みの日は何をされてるのですか?
休みの日…とりあえず最近は本当に休めないんですけど…。
ちょっと前までは、ゴルフに行ったりはしてましたよ。でも今はそれすらも行けなくて。行けないっていうのは忙しいっていうのもそうですけど、やっぱり昔より練習しないとまずい。
恐怖ばっかりが上がってきて、っていうか、恐怖の方が多い。
――楽器を弾くこと自体が恐怖ということですか?オケでもソロでも?
ソロの時が一番怖いですけど、室内楽にしたって、「昔、この曲やったことある」と思って楽譜出してきても、楽譜に何も書いてないじゃんとか。昔はそれでもいけたんでしょうね。今はもう、とてもじゃないけど、まあ別にガイドを書くわけじゃないですけど、指遣いとか、必要以上に書いたりしてますね。
――ご自分で練習する時間が延びているということなんですか?
そうです。今までは、もしゴルフに誘われてその日が空いていれば「あいいよ、行こうよ行こうよ」って言って、行ってましたけど、今は、この日はちょっと練習しないと、と思う。どんどん怖くなって。
――「怖い」というのは、これまでにミスした経験を思い出したり、あと単純に年を重ねられて考えることが増えたからですか?
考えることも多いし、例えば演奏会に限らずリハーサル中に「ここちょっと音程間違えたな」とか、うまくいかなかったところとかありますよね。それを、例えばバッハでいうとわかりやすいんですが、バッハの1番のプレリュードで「なんかここうまくいかなかった」「なんかいまいちだった」って、チェックを付けていくと、ほとんどの小節にチェックがつく。昔はそれが数か所だった「あ、こことここはなんかうまくいってない」とか。ところが今は「ここちょっと音がかすれたな」とか「ちょっと音程が低かったな」とかやっていくうちに、実際に記録はしてないですけど、もし記録していけば、1小節目から最後までほとんどチェックが入ってるわけなんです。そうなると恐怖ですよ。人から見れば、失敗までいかないのかもしれないんですけど。
嫌だったなとか思うと、記憶に残るんですよね。
――ご自身のことを「ソリストではない」と仰っているのをたまに耳にしますが、よくソロも弾かれていますしCDも出されているし、何が違うのでしょうか?
ソリストじゃないっていうのは、まあソロだけで食べてるわけじゃないから。だからやっぱりソリストじゃないですよね。
多分…、職種がもう完全に違うと思うんですよね。オーケストラとか室内楽プレーヤーとかソリストとか。その、なんていうのかな、運転免許証持っていれば、資格は要るにしろ、一応タクシーやトラックの運転手はできるとか。でもタクシーの運転手にしてみれば、「あなたは道を知らなさすぎる!」とか、トラックの運転手にしたら「車幅のこと考えてないでしょ!」みたいな。だから一応車の免許は持ってるけど、僕はちょっとタクシーやトラックの運転はできませんとか。F1ドライバーはできませんとか。そういう感じじゃないかと思うんです。
――じゃあやっぱりあくまでオーケストラの奏者っていうのがメインで、たまにソロを弾かれたりするという感じなんですか?
そうですね。でもオーケストラだけじゃなくて室内楽もやりたいし、ソロも弾かないといろんなことが衰える。オケだけの筋肉とソロの筋肉とたぶん違うから。いつもうまい具合にそういうのがあると、全体的にバランスいいかなと思いますよね。でも最近思うんですけど、職業としては“チェリスト”っていう枠だと思うんですけど、最終的には“音楽家”になりたいなと思う。“チェリスト”じゃなくて。
――どういうことですか?
それはたぶん一生かかっても無理かもしれないですけど、チェリスト、指揮者、ソリスト、室内楽、オケ、いろいろあって、そういうものを全部ひっくるめていろんなことを知ってるのが“音楽家”っていうね…チェロが達者な人っていうよりも、職業“音楽家”って書きたいんですよね。
――書いてください!
いや、チェリストです、まだぜんぜん。
――今何か考えていらっしゃることは?
アマチュアの人たちは、例えば指揮者をどういう基準で決めてるのかっていつも思うんです。
自分たちがもっと高い次元で指揮者を求める、例えば、合う(演奏が揃う)のは当たり前と思えるぐらいの、別に誰が指揮をしたって別に乱れないよとか。ブラームスの1番、そんな乱れることないし、なんかどこか違うところに連れていってくれる指揮者に来てほしいとか思えるような人たちを増やしたい。そういうのを打破するための、弦楽合奏団をつくりたいんです。
例えば陶器の器があって「この器はすごいな」とか言う人いますよね。説明されても僕には何がいいのかってわからないけど。でも、器が2つ並べられていて「こっちの器は全然ダメだけど、私にはすごくきれいに見える」とか「価値はわからないけどすごくこの柄が好き」とかそれをやってるうちはだめなんです。だめとは言わないけど「柄じゃなくて価値としてどうなの」って言われた時に、点数が無いものですよね、音楽も。それを、「間違いなくこっちでしょ!」って言えるアマチュアのプレーヤーが増えることが夢ですね。
――貴重なお話をありがとうございました。
2014年3月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2014年4月1日現在のものです。
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