中木 健二(なかぎ けんじ)
プロフィール
愛知県岡崎市生まれ。3歳よりチェロを始める。東京藝術大学を経て2003年渡仏。
ロームミュージックファンデーションの奨学生としてパリ国立高等音楽院チェロ科に入学、07年に同音楽院をプルミエ・プリ(一等賞)および審査員特別賞をもって卒業、引き続き同音楽院第三課程で研鑽を積む。同年スイス・ベルン高等音楽院ソリスト・ディプロマコースに入学、09年同音楽院を首席で卒業。また、04年より6年間イタリアのキジアーナ音楽院夏期マスタークラスでA.メネセスのクラスを受講し、最優秀ディプロマを取得している。 10年フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団首席奏者に就任。
2005年、第5回ルトスワフスキ国際チェロ・コンクール第1位ならびにポーランド放送局賞、EMCY賞受賞。同年、第16回FLAME音楽コンクール(フランス)優勝。08年第1回Note et Bien国際フランス音楽コンクールでグランプリならびにドビュッシー特別賞、ブーレーズ特別賞を受賞。また09年にはスイス・ベルンにて E.Tschumi音楽賞を受賞、さらに翌年ラファエル弦楽四重奏団としてボルドー国際弦楽四重奏コンクール第2位など、受賞多数。
これまでにチェロを久保田顕、林良一、河野文昭、向山佳絵子、P.ミュレール、A.メネセスの各氏に、室内楽を松原勝也、岡山潔、B.パスキエ、C.イヴァルディ、F.サルク、E.ル・サージュの各氏に師事。
2013年10月、デビューCD「美しき夕暮れ」をリリース(キングレコード)。
2014年4月帰国、ソリストおよび室内楽の演奏活動を本格始動。紀尾井シンフォニエッタ東京メンバー。東京藝術大学音楽学部准教授。
使用楽器はNPO法人イエロー・エンジェルより貸与されている1700年製ヨーゼフ・グァルネリ。
中木健二さんにインタビューさせていただきました。
――楽器を始めたきっかけはなんですか?
3歳の時に親の強い勧めで。なかば強制的に(笑)いわゆる英才教育です。1/10サイズのチェロを持てるようになったら始めるということで、その半年前からチェロ教室に見学に行っていました。初めは弓だけを与えられて、弓の持ち方を半年くらい習いました。
――ご両親は最初から中木さんをチェリストにするつもりだったのですか?
たぶん、アマチュアでもなんでもいいからとにかくチェロを弾かせたかったんだと思います。母がピアノを弾けたので、みんなで一緒に楽器を弾けたらいいなと思ったみたいなんですけど、兄はピアノを始めてすぐに脱落しました。僕は、チェロをやめると言い出す勇気がなかった(笑)。始めて1年くらいは楽しそうに弾いていたみたいなんですが、苦痛が訪れたのはその後ですよね…。
――小さい頃は家で厳しい練習をさせられたのですか?
そうですね、でも今はすごく感謝しています。やっぱり小さい頃からいろいろ与えてもらって、面倒をみてもらってきたおかげで、暗譜や細かいパッセージへの抵抗が少しなくなったように思います。
――フランスに留学された後、ボルドーのアキテーヌ管弦楽団で首席として活動されていましたが、日本のオーケストラではなくて、フランスのオーケストラに入ろうと思われたのには何か理由があるのですか?
やるからにはやっぱり弾きたいものがたくさんあって、例えばモーツァルトのレクイエムとかブラームスのシンフォニー、ベートーヴェンもそうですし、モーツァルトの魔笛やバッハのマタイ受難曲のような大作も弾いてみたかった。バレエ曲にも弾いてみたかったものがいくつかあって、そのすべてをレパートリーとしていたボルドーのオーケストラに入りました。よく見られるような“オペラの抜粋”の演奏会は、そのオペラのいい部分は確かに観られますけど、全体を通しての“オペラ”ではないので少し意味合いが変わってきます。僕はオペラが大好きで、ボルドーにいた頃は時間を見つけてよくパリやウィーンへオペラを観に行っていました。
フランスに留学中、ディプロマを取得して学校の単位を取り終えたころに、室内楽をたくさんやるようになりました。ピアノとデュオをやったり、クァルテットを組んだり。そうして卒業が近くなるにつれて他の国でツアーや演奏会をする機会が出てきたんですが、それまでのレッスンで学んだことを、実際の舞台でどう表現するかとか、リサイタルにはどういうモチベーションで臨むかみたいなことは、やっぱり舞台で勉強しないとわからない。ヨーロッパの舞台は日本の舞台よりもずっとお客さんと奏者の距離が近いように感じました。物理的にも近いですし、サロンの演奏会のようにそれほど大きくない会場の場合は特に、お客さんがすごく能動的だと感じます。ヨーロッパの伝統として、奏者も聴衆もみんなで分かち合う空間として音楽がある。歴史的に見ても、結婚式や誰かが亡くなったときに教会での音楽があったり、晩さん会前に宮廷で音楽をみんなで聴いて楽しんだり。だからお客さんが「今日はどんな曲を弾くんだろう?」って能動的になるのは、もともと体に染みついてきたものなのかなと思います。ですから、そういう舞台で演奏をすると、言い過ぎかもしれませんがお客さんが思っていることが舞台の上にいて伝わってくるように感じることもあるほどです。
――アキテーヌ管弦楽団をやめて帰国されたのはなぜですか?
簡単に言うと、やりたかった曲の大部分を弾いたからです(笑)。それにベートーヴェンのクァルテットとか、バッハの無伴奏チェロ組曲、数々のチェロコンチェルトにももっと深く取り組みたかった。僕は日本で紀尾井シンフォニエッタのメンバーとしても活動させていただいているので、これらの活動と他の公演に加えてアキテーヌ管弦楽団の首席として活動するっていうのは、年々難しくなってきていました。オーケストラは日程にかなり縛りがあって、うまく調整してはいたんですが、日程が合わず他のいろんな国での演奏会を断らなくてはいけないことを残念に思っていました。
――では今後は、紀尾井シンフォニエッタのメンバーとして演奏できる日本で、それらの活動に専念しようと?
他の国に行くこともいろいろ考えたんですが、引っ越すなら“街”で決めたくて。行きたかった街がいくつかあって、その中のひとつに東京がありました。自分の自由にできる時間の使い方などを考えたときに、東京がベストだった。また東京はアクセスがいいから、どこの国でも飛行機一本で行けるんです。ボルドーは必ずどこかで乗り換えなきゃいけない。よく「どうして帰って来ちゃったの?」って言われるんですが、日本はやっぱりいいです。落ち着きます。
――今、日本に戻られて、ご自身の心境なども含めてよかったことはありますか?
ご飯です。ご飯が美味しいのはやっぱり最高です!
ご飯を食べている時とお酒を飲んでいる時は、日本に帰ってきてよかった、って思います(笑)。日本に帰って来てからでもワインも飲んでいますけど、でも日本酒がおいしいと思うようになりましたね。
――後進の指導にもご興味がおありだと、伺いましたが。
レッスンは純粋に楽しいです。
僕は基本的にプライベートでは教えていなくて、東京藝大付属高校と東京藝大、東京藝大大学院だけで指導しています。今後は、藝大付属高校や東京藝大を受験する人たちや、もう卒業した人にはレッスンしたいと思いますが、僕が不器用なのもあるんですけど、プライベートで生徒をとる時間があるなら今の自分の生徒のレッスンをしたいと思っています。同時に、今自分が弾かないと生徒にも教えられないとも考えています。
今後は学校で“全員参加のマスタークラス”というのを出来るだけやりたいと思っています。お互いどんな音楽をやろうとしているのか、作り上げて行く過程をみんなで共有するというのはとても効果的です。以前にテレビで見たんですが、跳び箱は自分一人で練習するよりも飛べる人のやり方を見る方が早く跳べるようになるそうです。他の人のやり方を見て、イメージすることが大切なのかもしれません。同じように、他人の演奏・レッスンを聴くと自分もうまくなるということに、僕は確信を持っています。実際、フランスを代表する名チェリスト、アンドレ・ナヴァラのクラスがそのシステムでレッスンしていたそうです。
20世紀後半のヨーロッパチェロ界ではアンドレ・ナヴァラとアントニオ・ヤニグロという二大名教師がいました。すごくラッキーだったのは、僕が習っていたフィリップ・ミュレール先生がナヴァラの一番弟子で、その後師事したアントニオ・メネセス先生はヤニグロの一番弟子だったことです。その二大スクールの伝統を引き継いだ方々から奏法や解釈を習うことが出来たのは貴重な経験でした。
当時は2人の先生の良いとこ取りしようと思っていたんですが、そんなに甘いものではなかったです(笑)やっぱり考え方の根底が違うし、それぞれいいところは当然たくさんありますが、交わらない部分も多くあるので。今になって思うのは、もちろんナヴァラとヤニグロという“僕の先生の先生”は素晴らしかったけど、僕が習った先生は2人とも、それプラスご自分の“何か”があったから素晴らしいチェリストになったのであって、全部が全部先生のモノマネだったわけではない、ということです。だから僕は卒業後、自分でその“何か”をみつけなければいけないと思って、とにかくいろんな曲を弾こうと思うようになりました。このままでは先生に習った以上のことはできないし、自分としても納得できない。経験と知識と音楽性、そして先生とは違った方法で取り組まなければいけないと思いました。誰かのモノマネっていうのは、特にリサイタルとかコンチェルトの舞台だと聴きにきてくださる方に、簡単に見破られてしまいます。メネセス先生は、演奏会でたとえ彼のモノマネをしてうまく弾けたとしても関心は示しませんでしたが、僕がやりたいことを全力でやったときの演奏はすごく褒めてくださいました。
――モノマネするのも結構難しいことだと思うんですが、どうやってさらにもう一歩上に進むのですか?
まずどうやってその作曲家の音楽に深く入り込むのか。
チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」をやっていたときは、血の中にチャイコフスキーの音楽が染みこんでいかない限りその音色は探せない、とメネセス先生に言われました。そのために、オペラやバレエの音楽も全部知る必要がある。「スペードの女王(チャイコフスキー作曲のオペラ)」や「エフゲニー・オネーギン(チャイコフスキー作曲のオペラ)」を知らなくてどうやってチャイコフスキーを弾くのか、と。
そこでまず片っ端から資料と音源を捜します。その中から、チャイコフスキーより前の時代はロシアにどんな伝統があったのか、またチャイコフスキーの性格や作曲の過程で求めていたものを探ります。そして、ロシア出身のチャイコフスキーはモーツァルトやメンデルスゾーン、シューマンなど、ウィーンやドイツの音楽を勉強したということを知るわけです。そこで今度は、モーツァルトやメンデルスゾーンなどの曲を聴いたり譜面を読んだりしていきます。そうすると「このフレーズは別の曲のここにも出てくる」っていうことが多々あって、イメージが膨らんでいきます。
ブラームスの曲でも、「これはベートーヴェンのここからきていて、この部分はあの曲のあそこにもあったな」とか。最後はそれが自分のイマジネーションを育むんだと思っています。“想像することでのみ自分の演奏を前よりも一歩高いステップに持っていける”っていうのが僕の考え方です。
例えばブラームスのソナタ第2番の2楽章は最高に美しい音楽ですが、あれは元々ソナタ第1番の2楽章として書かれたんですよ。当初書いたときにクララ・シューマン(ロベルト・シューマンの妻で、ブラームスは14歳年上のクララに恋愛感情があったと言われている)に見せたら「この曲は長すぎて、ほかの楽章にそぐわないのでやめた方がいい」と言われたとの記述が残っています。それでソナタ第1番に合う2楽章を新たに作って、今の第1番は完成しました。それから20年以上も経って、元々ソナタ第1番の為に作られた2楽章を、ソナタ第2番に持ってきた。ブラームスほど自分の作品に対して厳しかった人が、昔に一度破棄したものをもう一度持ってくると言うのはどういうことだろうかと。
ここまでのステップはまだ学者的なスタンスで、これは演奏家よりも音楽学者の方のお仕事です。肝心なのはここからで、20年経ってもなおあの2楽章はブラームスにとって、とっても大切なものだったのではないかという僕の仮説です。ではそんなに大切にしているものに対してなぜクララはあのときああ言ったのか。ここから先は僕の想像の域を超えませんが、あの曲は、きっとブラームスからクララに渡したラブソングだったのではないかというのが僕の考えです。ただ、ソナタ第1番が書かれた頃は、まだクララにはシューマン(亡き夫)の影が残っていて(1856年:満46歳でシューマン死去 1865年:ソナタ第1番完成)そんなことを世に公表するべきではないような背景があったのではないかと思うのです。ブラームスの自分への気持ちにたぶん薄々気が付いていたクララは、それを表沙汰にしたくなかったのではないかと。それで、20年以上経って昔を懐かしむような気持ちでソナタ第2番としてようやく発表したのではないか。20年間温めてきたクララへの想い。ものすごく濃厚なワインが、20年経って角が取れたみたいな感じです。
元々、F-dur(ヘ長調)だったのが、第2番の2楽章にするにあたってFis-dur(嬰ヘ長調)という調になったんですが、そのたった半音転調しただけであんなにも音楽が崇高になるなんて、もう奇跡に等しい。やっぱり20年分の思いを込めて弾くからこそその曲の深いところを楽しめるような気がします。これは別に先生から教えられてそう思って弾くのではなく、自分でいろいろ調べて他の曲も聴いた結果、そういう風にこの曲を弾くべきだ、って出した僕の今日の時点での結論。だから誰かのように弾くわけではないし、またこの後いろんな音楽を聴いたりいろんなことを調べたりしていったら違うふうに感じることもあると思います。演奏する時に描けるイメージをできるだけ強く持つ、できるだけクリアに持つためにそういう作業をすると、何を表現するのかが少し具体的になるんだと思います。
――では何か1曲でも弾く時は、その曲がどういうものなのかを納得いくまで徹底的に調べて臨むんですね?
時間があろうとなかろうと、その日この曲で何をしゃべるのか(伝えたいか)っていうのをはっきりさせて臨んでいるつもりです。
――1週間前に弾いたときとはもしかしたら全然違うかもしれないということですか?
同じ演奏をしようという考えを持つのは絶対にやめようと思っています。
求めているもの、強くイメージしているものはたかだか1週間ぐらいではきっと同じだろうけど、どんなにうまくいった感触の演奏会でもその次に同じ曲を弾く時、前回と同じように弾こうというのだけは絶対にやめた方がいいとフランスでも習いました。ちなみにそれが一番怖い本番です。前日の本番がうまくいった時の2日目に同じプログラムというのはもうすごく怖いです。前回の方がよかったかもしれない、前回はこうは弾いていなかったというのが一瞬でも頭をよぎったら、もう何も弾けなくなってしまう。≪前回よりも魅力的な音楽を≫って常に思っていないと。音楽において、現状維持はあり得ないっていうのも僕の持論です。
最近感じるのは、舞台上ではテンションが高いだけの演奏じゃダメだと…(笑)もちろん、ハイテンション芸人のネタみたいに面白い曲もありますし、そういう曲もたくさん弾いてきましたので、それはそれでよかったんですが、バッハやベートーヴェンを弾くようになるとそれではダメだと。“うまく弾けるように”じゃなくて、弾いていて「うわ、いい曲だな!」って感じられるようなチェリストに、50歳を過ぎてなれていたらいいですね。
練習しているときは、いつも「すっごくいい曲だな」と思って練習をするんですけど、舞台に上がると怖いんですよ。正確に弾かなきゃとか、細かいことばっかり気にするようになって。それを何とか少しでも30代で払拭したいと思っています。舞台に上がると体裁を整えようとしてしまいがちで、やっぱり。“いい音で”とか“そこの音程をもっと正確に”とか。。。目的がなかったらこれは体裁を整えるだけの“格好つけ”の発想ですよね。音程って100%正しい音程は世の中に存在しないし、そこに音楽的なアイデアや思想が反映されるべきだと思うんです。その音程を緩く弾きたいのか、きつく弾きたいのか、厳しく弾きたいのか、切なく弾きたいのか、甘く弾きたいのかによって全部違うべき。極端に言えば、音程はその手段の一つに過ぎません。音色(おんしょく)もそうです。いわゆる≪良い音≫の定義ってないですよね。その方の思いに適っていれば、それはたぶん全部“いい音”なんだと思います。
――でも、中木さん、“いい音”だと思います。
いやいや。そう言われているうちはまだまだってことだと思います。例えばブラームスのソナタ第2番の2楽章だったら、“20年分ため込んだラブソングに聴こえる音”が“いい音”なんです。その“20年分ため込んだ愛の歌”は、甘い音では弾けないんですよ、たぶん。ちょっと枯れているくらいがちょうどいいんです。
なかなかできないんですが世の中にはそれを実践している演奏家がいるんですよ。どんな楽器であろうと、僕はその人たちを芸術家としてとても尊敬しています。例えばメネセス先生のリサイタルで一番最近聴いたのはシューベルトのアルペジョーネソナタでしたが、あまりの素晴らしさに口が開きっぱなしになりました。ミュレール先生の演奏から感じられる生命力も凄まじいものがあります。でもミュレール先生はそれをあまりレッスンで教えてくださったようには記憶していません。つまり、自分で盗むしかない。
――どうやって盗むんですか?
ミュレール先生はとてもクールで冷静な方でしたが、たまに顔を真っ赤にしてレッスンで弾いてくださるときがありました。そんな時、先生はとてもこの曲が好きなんだな、と感じます。同時に、先生と同じかそれ以上に自分がこの曲を好きにならないとこうは弾けないだろうなとも思いました。2015年の3月に久し振りにシューマンのチェロコンチェルトを名古屋で弾くんですが、僕にとってシューマンは一番と言っても過言でないほど好きな作曲家。すごく人間らしい音楽だと思うんですよ。だから本当にあの曲が好きで好きでたまらない、っていうふうに弾けたらいいなと。聴きに来てくださる方々とその想いを少しでも共有出来たら嬉しいですね。
――2014年10月に行われた〈B→C バッハからコンテンポラリーへ〉の演奏会を聴かせていただきました。あの演奏会では現代曲もいくつか演奏されていましたが、現代曲は難しそうな印象しか残らない場合もあるのですが、先日の演奏はその世界にひきこまれてすごく集中して聴けたんですよね。それはやっぱり曲のことをすごく勉強されたり、どう弾くかということがちゃんと考えられているからなんでしょうか。
そう言っていただけると、あのようなプログラムを組んだ甲斐があります。
現代音楽を弾く上での“心得”というと偉そうですが、僕が何に気を付けているかというと、その曲を知らない人が圧倒的に多いという状況の中で、その曲のいいところをいかに知らせるかということです。初演の曲で練習するのがすごく大変でも、ある程度曲の見通しが立った時点で、この曲は例えばどの部分が導入で、どれが主題を提示していて、それが展開されてこうなる、という大枠をまず読む。それが作曲家の意思に適っているかどうかはひとまず別として。そして、それぞれの場面で何がどう移り変わっていくか、どこがクライマックスかがなんとなく見えたら、今度はその細かい表情、例えばこの8小節のフレーズは何をしゃべろう(伝えよう)としているのか、悲しいのか、嬉しいのか、辛いのか、明るいのかを考えます。そこに表題やセリフがない以上は、そこに奏者のイマジネーションがないと、聴いている人はつまらないと思うんです。もちろん、弾く側も辛いですし、そういった練習は“あてのない旅”になってしまいます。どんどん速く弾くとか、すごく大きい音で弾くとか、そういう個人的な目標を立て始めてしまうこともあるほどです。そうではなくて、音楽はどんなストーリーを伝えたがっているのか、ということを意識すると、たぶん本番でもっといい曲だな、と思えるはずなんですよね。言うのは簡単で、そのように意識するのはなかなか難しいのですが・・・。
近現代の音楽を録音で表現するのは特に難しいと思います。もちろん僕も近代の曲をCDに入れていますし、これからも入れると思いますが、やっぱりライブとは違ってきます。バッハやハイドンだって録音するために曲を書いたわけではないわけですし。当時は全部“現代曲”だったわけだから、聴衆もみんないろんなイマジネーションを持ってその日の演奏会を楽しみにして来たと思うんです。奏者の立場からしたら、前例がないからきっとテンポももっと自由だっただろうし、アーティキュレーション(音の表現方法)とかニュアンスだってもっといろんな方法があったと思います。その代わりみんなその方法に自信や確信を持っていたからあんなにも音楽が栄えて、活き活きとしていたのではじゃないでしょうか。
ドヴォルザークのチェロコンチェルト(通称:ドボコン)っていったらこう弾かなきゃいけないみたいなの、何かあると思いませんか?そんなこと楽譜に何も書いていないのに。こう弾かなきゃいけないっていう発想とか、こういうふうに聴かなきゃいけないとか、僕にとってそういう発想は苦手で、そのせいでこの曲もしばらく敬遠しがちでした。演奏は毎回違って当たり前なのに、一つのハンコみたいに押し留めようとすると、音楽は息苦しくなると思う。
これは有名になった録音の影響だと思っています。生徒に言っているんですが「ドボコンを弾くからって別に思考を停止させる必要はない、ちゃんと譜面を読んで音楽をやって下さい」って。なぜかはわからないんですが、同じような演奏をする生徒が多いような気がします。実は、ずいぶん長い間、僕はドボコンが嫌いだったんです(笑)有名な録音みたいに弾かないと何か言われる。しかもドボコンの場合は、ドヴォルザークが書いた後に初演するチェリストの手によってかなり多くの部分が改訂されているんです。ドヴォルザークもそれを受け入れていたから最終的にその形で出版されたんですけど、あまりにその初演したチェリストが全部変えすぎて、作曲家が一番大切にしたいところまでも変えようとしてしまったため、最終的にその初演を予定していたチェリストはクビになった。結局他のチェリストによって初演されたという記録が残っています。ドヴォルザークはたぶん相当寛容な人間で、地味でシャイな人だったから我慢していたんじゃないかと思うんです。ところが最近、改訂前の自筆譜が出版されて手に入るようになりました。それを読んでからいい曲だと思えるようになりました。
――音楽家として活動されていて、一番大切に思っていることはなんですか?
モットーは≪会場に来て下さる方々と奏者が同じ空間を共有できるような演奏会をする≫ということ。そうじゃなければ意味がない。絶対一方通行にしない。
――先日の演奏は本当に、奏者と聴衆は音楽を共有できるんだなと思ったんですよ。素晴らしかったです。
そう思って下さる方が一人でもいればこんなに嬉しい事はありません。カギになるのは作曲家を最大に尊敬し、譜面を尊重すること。作曲家の音楽は僕らの想像を常に何倍も超えて素晴らしいんです。楽譜にはこう書いてあるけど自分はこう思うからこう弾いた方がいいなんて一つやり始めたら、つまらない本番になると思います。ただ、もっと回数を重ねていってその後に「f(フォルテ)と書いてあるけど、強いだけのfではないんじゃないか」というような多彩な解釈ができるようになるともっと面白いのではと思っています。
――今後の目標やこの先にやっていきたいことはありますか?
ベートーヴェンの室内楽曲のように、音楽的に価値ある作品は出来る限り全部弾こうと思っています。ベートーヴェンの後期の作品は自分にはまだ早いんじゃないかとずっと敬遠してきていたんですけど、じゃあいつになったら弾けるんだと思って。人生何が起こるか分からないし、今弾きたいものを弾こうと(笑)バッハの無伴奏チェロ組曲はほぼライフワークのように思っています。好きで好きでたまらないので弾かずにはいられないみたいな(笑)難しいのは重々承知のうえで、うまく弾こうなんて思っていなければ曲の良さと触れ合うことが出来るように思うのです。
バッハの無伴奏組曲5番は、譜面を初めて見たときから一番好きな曲です。たまらない、の一言です。一音たりとて無駄がないし、ものすごくアバンギャルドだし、すごく人間的かつ宗教的で、この上ないです。毎回いい曲だな、と思って少しずつ弾くようにしています。
演奏会などで移動は多いですが、弾きたかったものが弾けるので、とても幸せに感じます。
――貴重なお話をありがとうございました。
2014年11月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2014年12月22日現在のものです。
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