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齋藤 千尋(さいとう ちひろ)

category : チェロ奏者のご紹介 2017.4.14 

プロフィール

日本発祥ながら長年ドイツを拠点に欧州で活躍を続けるロータス・カルテットのチェリスト齋藤千尋は、近年弦楽四重奏における演奏のみならず、モダン・チェロは勿論のこと、バロックチェロも演奏するソリストとしての活動も注目集めており、2011年2月には東京と大阪で『チェロの進化論』と題するソロリサイタルを行って好評を博するなど、今後動向が注目される欧州で活躍する日本人チェリストの一人である。
東京芸術大学付属高等学校、同大学を卒業し、在学中に安宅賞受賞。日本音楽コンクール、宝塚ベガコンクール、日本室内楽コンクール等にも入賞。
安田生命クオリティオブライフ文化財団より奨学金を受けシュトゥットガルト音楽大学においてKA(修士課程)、ソリストコース、室内楽科に学び、さらにフランクフルト音楽大学で、クリステイン・フォンデア・ゴルツにバロックチェロを師事している。
1992年に結成したロータス・カルテットの一員として大阪国際、ヴィオッティ国際、ミュンヘンBDI、パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール等で上位入賞を果たし、ロンドン国際弦楽四重奏コンクールでは、メニューイン特別賞や新曲(ルチアーノ・べリオ)最優秀演奏賞を併せて入賞している。
ワーナー・テルデックより、モーツァルト:弦楽四重奏曲集や日本人作曲家による弦楽四重奏作品をワールド・リリース。また LIVE NOTES Nami Recordsでのシューマン:弦楽四重奏曲全集は、平成18年文化庁芸術祭最優秀賞を受賞した。
現在もベルリン、ハンブルグ、デュッセルドルフ、ケルンなどドイツ主要都市をはじめ、イギリス、フランス、オランダ、アイルランド、フィンランド、スイス、スペインなどの各都市 またルツェルン音楽祭、ラインガゥ音楽祭、ダヴォス国際音楽祭、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭、ブラウンシュヴァイク室内楽祭、シュヴェッツィンゲン音楽祭、ヴュルツブルグ・モーツァルト祭など、ヨーロッパ各地の著名な音楽祭に度々招かれおり、ドイツSWR、ZDF、オーストリアORF、スイスDSR、イギリスBBCなどTV・ラジオ放送の録音も多い。
また、2005年にルツェルン音楽祭において収録されたヘルムート・ラッヘンマン(作曲)のドキュメンタリー 映画に出演し世界各地で繰り返し放映され話題となった。
メロス弦楽四重奏団のメンバー、ヴォルフガング・ベッチャー、ポール・メイエ、マーティン・フロスト、エドワード・ブルンナー、宮田まゆみ、吉野直子、小川典子、漆原朝子、澤和樹の各氏と共演。
またソリストとして、藝大フィルハーモニア、東京シティフィル、シュトゥットガルト・フィル、シュトゥットガルト室内管弦楽団などと共演している。
これまでに堀江泰士、小野崎純、レーヌ・フラショー、マーティン・オスターターク、ペーター・ブックの各氏に師事。
また、ダヴィット・ゲリンガス、ダニエル・シャフラン、フィリップ・ミュラー、ヴァレンティン・フェイギンの各氏にもマスターコースにて師事している。
弦楽四重奏を、原田幸一郎、アマデウス弦楽四重奏団、メロス弦楽四重奏団、ライナー・シュミット(ハーゲン弦楽四重奏団)、ヴァルター・レヴィン(ラサール弦楽四重奏団)、ヴァレンティン・エルベン(アルバンベルク弦楽四重奏団)の各氏に師事。

齋藤さんHP掲載用

齋藤千尋さんにインタビューさせていただきました。

――チェロをはじめたきっかけはなんですか?
6歳からピアノを習っていました。私はピアノがすごく好きで一生懸命練習していたのですが、ある程度弾けるようになって、「コンクールを受けないか」と言われるようになったことで、ピアノはもうやめようかなと思い始めました。当時の日本の音楽界は、競争社会や学歴社会といった社会の縮図のようで、少し上達するとすぐ「コンクール」でした。コンクールくらいしかステップアップするような機会がなかった社会に問題があったとも思いますが、コンクールを受けるとなると本選まで行って1位をとらないといけない、二次選考で落ちているようではピアニストになるのは難しくて、ついていけないと思いました。
ちょうどその頃、そのピアノの先生のお嬢様が音大でチェロを勉強していらっしゃったんですが、私の父が音楽好きで、「サン=サーンスの白鳥を弾けるようになりたい」と、そのお嬢様に趣味でチェロを教わりに行っていました。楽しそうにチェロを弾いている父を見て、チェロの方が絶対楽しいに違いない、チェロしかないと思いました。12歳の時です。
父は、私のピアノ伴奏で白鳥は弾きましたが、その後いつの間にかやめてしまいました。私はとても神経質で、練習している時に足音がしたり、掃除機をかける音がすると凄く気になってしまい、静かな所でないと練習できないのですが、私が真剣にチェロをやり始めたので、家族もそれを察したようで、それで父は私に譲ろうと思ったのか、あまり邪魔してはいけないと思ったのかもしれません。

――斎藤さんと言ったらカルテット、というイメージがすごく強いのですが、カルテットはどういうきっかけで始められたのですか?
以前、ピアノカルテットで南米に演奏しに行く機会がありました。メンバーは、ヴァイオリンの影山(郷道)裕子さん、ヴィオラの山𥔎智子さん、ピアノの岩崎淑先生と私の4人でした。その中で、ヴァイオリンの影山さん、ヴィオラの山𥔎さんと意気投合して、カルテットを作ろうという話になったのが始まりです。最初のメンバーは、1stヴァイオリン(以下、1st)を影山裕子さん、2ndヴァイオリン(以下、2nd)を佐々木千鶴さん、ヴィオラは山崎智子さん、チェロは私で結成しました。ロータスカルテットの最初の1年はこの4人でやって、大阪国際室内楽コンクールで3位を受賞し、1stが現在の小林さんに変わったのはその後です。

――カルテット等をやっていると、様々な事情でメンバーの変更を余儀なくされることがあると耳にしたことがありますが、同じメンバーで続けていくには何が大切ですか?
メンバーを決めるときに、その時点での仲の良し悪しということよりも、「この人とならできる」という勘が大事だと思います。活動する中で、あらゆる問題にぶつかっても、この人たちとならばこの先も絶対に一緒に歩んでいかれる、ということを実感しました。そのためには、我慢したり、受け入れたりしなければいけないこともたくさんあります。

――「我慢したり受け入れる」というのは、ぶつかったときにですか?
何事においても夫婦と一緒で色々なことがあります。
音楽的なことも音楽以外のことでも、これは大変だ、と思ってしまうようなこともありますが、一緒に音楽をしていきたいので、受け入れられ、許して行かれます。“許しあいながらやっていく”ということが私たちの心情ですね。
問題は大なり小なりいつでも出てくるので、その時にお互い相手を尊重できるかどうかというのがポイントでした。

――ドイツを拠点にされた経緯はなんですか?
私はドイツのカルテットの元で勉強したかったので、メンバーにも声をかけてドイツに行くことになりました。

――みなさんでドイツに行かれて、住む国が変わるというのは自分をとりまく環境が全く変わるので、それでも3人のメンバーは変わらずにここまで一緒にやられてすごいと思います。皆でドイツに行くとか、そこまで音楽に向かい合い続けることができるのは、やはり音楽に対して思いが強いからなのでしょうか?
カルテットというジャンルは、素晴らしい曲ばかりで、どれだけやっても飽きないですし、磨いても磨いても自分の物にならない、手に入れようと思っても届かない、それぐらい価値のある素晴らしい芸術作品ばかりだと思っています。

――トリオの曲や、ソナタ、コンチェルトなどとはまた違う魅力があるのですか?
チェロの曲でいえば、ソナタやコンチェルトでも素晴らしい曲に巡り合うのですが、カルテットのレパートリーは圧倒的に素晴らしいと思います。作曲家の“人間性”が光っていて、良いところを抽出されたエッセンスのような作品ばかりで、尊重する以外にない、常に作曲家と作品に対して頭を下げています。その気持ちひとつでずっとやってきていると思います。

――カルテットの中でのチェロの役割は何ですか?
カルテットによっては1stが“神様”で、他の3人は1stに従っているようなバランスのグループがありますが、それはそれで成り立ちますし、面白いカルテットだと思います。あるいは非常に稀ですが、1stがとても控えめで3人が目立つところもあります。バランスの違いですね。ロータスカルテットの場合は、チェロによくいるタイプらしいのですが、私が“一匹オオカミ”で、旅行などに行くと、他の3人がすぐにレストランへ駆り出して、私はいつの間にかいなくなっているパターンが多いです。が、4人で一緒にいる時間は多分他の3人の細やかな気配りのおかげさまですが(笑)、お互いを尊重し合う距離感を絶妙に保ちながらそれぞれがその人らしく和気藹々と非常に楽しく過ごせています。一言で表現するのは難しいものの、演奏の上でもその人間関係がベースになっていると思います。

――斉藤さんから見て、ロータスカルテットのヴァイオリン、ヴィオラはどういう役割ですか?
1stの小林さんは素晴らしく才能のある人で、世界一の1stヴァイオリンと仰いでおりますし、その気持ちが大事だと思っています。彼女なら間違いない、と何があっても信じる気持ちです。
2ndのマティアスさんは誠実でしっかりしていて、何においても揺るがず、任せておいて大丈夫という非常に信頼できる人物です。
ヴィオラの山﨑さんは、面白くてスパイスが効いており、繊細な感覚も持った稀有の存在です。どちらかというと勝負師で、いいものを出してくれる時は、例えばサイコロを投げてゾロ目を出すような、“神様に愛されている人”、という感じがします。

―― 一般的に言われる、カルテットのそれぞれの役割のイメージとロータスカルテットの役割は違いますか?
どのカルテットもそうだとは思いますが、結局は一般的な役割にはまっていると思います。職業がその人間を作ってしまうと言われるように、ベートーヴェンやハイドン、シューベルト、シューマンのカルテットを一生懸命やっていると自ずと自分たちのキャラクターが、要求された役割にはまっていってしまっているのではないかと思うことがあります。昔は無理をして、バス担当はこうしないといけない、1stはこうでなければいけないと、型にはめ込んで窮屈になったり、逆にそれを破ろうとしてバラバラになったりで、試行錯誤の繰り返しでした。今でも細かいことは繰り返しますが、カルテット内における自分たちの役割が見えて来たのだと思います。しかし道のりは本当に長いです。曲が素晴らしいからこそくじけることなく来られていますが、色々な思いをして、厳しい中でも道を求めて来られていると思います。この20何年本当に色々な紆余曲折がありました。

――自分たちの音色ができてきた、と感じたのは何年ぐらい経ってからですか?
1992年に結成して、まとまってきたかなと思っても見えなくなり、できたかなと思ってもまた疑問を感じ、というのを繰り返して、“崩れなくなった時”を自分たちの音色ができた時とすれば、19年後の2011年ぐらいだと思います。メンバーが変わるとバランスがまた変わって、いいところを取れるようになるまでに時間がかかりました。そこからは、何があっても大丈夫だろう、というふうにみんな落ち着いてきたと思います。

――弦楽器はもともとはヨーロッパの楽器ですし、日本で弾くのとヨーロッパで弾くのとでは違いはありますか?
ヨーロッパで弾き始めた頃は、日本に帰って来て練習をする場所の天井が低いということにすごく圧迫感がありました。今はもう切り替えができるので違和感はなくなりましたが!それから気候風土の影響が大きいと思います。食べ物や人の性質もですが。

――ヨーロッパという“伝統”の中で活動してこられて、苦労されたことはありますか?
アジア人としてカルテットという特殊な伝統のあるジャンルにおいて、ヨーロッパで演奏活動をするのは初めは本当に厳しかったです。でも聴衆はとても好意的で、なんでも感動しようという思いで演奏会に来てくださいましたが、どんな町でも、曲の真髄を深く理解している聴き手が必ず何人かはいて、最初の頃は私たちの演奏内容というよりは、理解度を試されているようで針のむしろに座っているようでした。演奏が終わった後にすぐに私たちのところに来て「どうしてそこはそう弾いたんですか?」と聞かれたりするのがあまり気持ち良くありませんでした。私はなぜここをこう弾いているか、ということを言葉で説明できないといけないのかと感じて、試されているように感じてしまっていたためです。「あなたたちにブラームスがわかるんですか?」と言われた時に、“ブラームスはわからないでしょう?”と言われたのだと思い、やはり私たちの演奏が至らないからなのかしら、という具合でした。でもよく考えたらそれは彼らにとって当然の興味の対象で、彼らはあらを探しに来ているのではなくて、私たちが何を考えているのか興味があって、それを本当に知りたいのだと、ストレートに理解できるようになるまで数年かかりました。
何度も何度もそのような方達と議論や会話を繰り返すことによって、自分たちはこうだ、というのを出すことが大事だということが良くわかりました。今振り返ってみれば当然のことなのですが、こうして聴衆に育てていただいたと思っています。

――1992年に結成して今までやってこられて、これから先カルテットとしてさらにどうなりたいなどのお気持ちはありますか?
それぞれをとりまく状況が常に変動しますので、それに応じてまた変わってくるのを楽しみにしています。長く続けていると、お互いの年月を経て良くなったところを敏感に感じられます。簡単に言ってしまえば、人間は年を取ると魅力が出てくるということですが、今はそれが見えてくる時期で面白いです。若いときに当然もつお互いへの不満や要求を経て、長く一緒に活動をしてくれば、誰でも見えてくると思います。人生の中での状況の変化、挫折感や家族の問題などでやめてしまっていたら見えなかったこと。ずっと続けて、固く抱きしめて磨いたら何でも光ってくると、信じてやってきて本当によかったです。自分の人生も、ダメだなと思っても先に進んで一生懸命生きていれば、何か光ってくると信じています。

――貴重なお話をありがとうございました。

2016 年10月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2017年4月14日現在のものです。
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