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長谷川 陽子(はせがわ ようこ)

category : チェロ奏者のご紹介 2018.11.16 

プロフィール

9歳から桐朋学園大学付属《子供のための音楽教室》で井上頼豊氏に師事し、15歳で第54回日本音楽コンクール第2位入賞。高校3年でリサイタルおよび協奏曲デビューを飾りコンサート活動に入る。
桐朋音楽大学に入学。ビクターよりリリースしたデビュー・アルバム《珠玉のチェロ名曲集》がクラシック・ヒット・チャート第1位にランクされ、また、シノーポリのソリスト・オーディションに最年少で合格して注目される。
1989年より文化庁派遣在外研修員としてフィンランドのシベリウス・アカデミーに留学、アルト・ノラス氏に師事(1992年首席で卒業後帰国)。1990年 《ロストロポーヴィッチ国際チェロ・コンクール特別賞》受賞。
これまでに日本の主要オーケストラと共演した他、フィルハーモニア管弦楽団、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、ハンガリー放送交響楽団、ウィーン・コンツェルトフェライン室内管弦楽団、モスクワ・フィルハーモニー交響楽団、ほか多くの内外のオーケストラにソリストとして迎えられている。
2000年はホノルル交響楽団、NHK交響楽団(オラモ・サカリ)と共演の他、フィンランドの《ナーンタリ音楽祭》へ招待参加。2003年、ズデニェク・マーカル指揮/プラハ交響楽団とのツァーは高く評価され、2004年にプラハでの定期公演、翌年は日本ツァーにて再度共演。2005年はフランス・ナントの音楽祭に参加。
好感度を買われて、高島屋・ハウス食品・三共・ANAなどの企業広告出演などメディアへの登場も多い。NHK-FM《おしゃべりクラシック》では渡辺徹とともにパーソナリティを務め、あたたかな人柄がにじみでる司会ぶりは多くのリスナーの支持を集めた。2006年に放送されたNHK朝の連続ドラマ小説《純情きらり》のテーマ曲や、2012年のNHK大河ドラマ≪平清盛≫のエンディング・テーマ曲演奏などを担当。
CDはビクターエンタテインメントより20枚以上発売されており、第5弾のCD「コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ》は 《文化庁芸術作品賞》 《日本プロ音楽録音賞》などを受賞、1999年の《バッハ無伴奏チェロ組曲》につづき、2001年チェロとアコーディオン版の「展覧会の絵」もレコード芸術特選盤となるなど、常に話題のCDを発表しつづけ、最近はプラハ録音の《シューマン/ドヴォルザークチェロ協奏》《バーバー/エルガーチェロ協奏》に続いてハープとの共演で《愛の小径~チェロ名曲集》、2012年には《チェリッシモ》《シャコンヌ》など2枚のアルバムがリリースされ、2015年には《Tribute to Chopin》がリリースされている。
高い技量と豊かな音楽性には定評があり、日本を代表するチェロ奏者の一人として協奏曲・リサイタル・室内楽・CD録音など意欲的で巾の広い活動で更なる飛躍が期待される注目のチェリストである。
《アリオン賞審査員奨励賞》 《松村賞》 《霧島国際音楽祭賞》 《ロストロポーヴィッチ国際チェロ・コンクール特別賞》 《モービル音楽賞奨励賞》 《新日鉄音楽賞フレッシュ・アーティスト賞》《齋藤秀雄メモリアル基金賞》他、受賞多数。日本チェロ協会理事、桐朋学園大学音楽学部准教授。

オフィシャルホームページ http://yoko-hasegawa.com

2018年11月現在

写真掲載用

 

長谷川陽子さんにインタビューさせていただきました。

――チェロを始めたきっかけは?
私の両親がアマチュアのヴァイオリニストとピアニストで、家に音楽が日常的にある家庭だったんですね。正座してレコードを聴く、というようなことではなく生活の一部として音楽があって、ご飯を食べるときやお人形遊びをするときに、レコードを聴かせてもらっていました。色々な楽器をレコードで聴いていたのですが、ヴァイオリンとピアノの一番身近な音が父と母の音だったので、なんか不思議な音がするな、くらいにしかと思っていませんでした。
私が3歳くらいの時にカザルスが亡くなりました。両親がファンだったので、カザルスのレコードを家でかけっぱなしにしていたのですが、そのときに、チェロっていい音がする、と思いました。それまで、トリオや大きな編成でのチェロの音は耳にしていましたが、純粋にチェロの音だけを聴くのが初めてで非常に衝撃を受けまして、「私はこの楽器をやりたい」と言い出したんです。もしこれがカザルスのCDでなかったら、そこまで思わなかったかもしれないです。今でこそ女性がチェロを弾くというのはスタンダードなことになっていますが、その当時は藤原真理さんがやっと出てきたぐらいで、女の子が足を広げてあんなに大きな楽器を弾くなんていうのは、両親の先入観として違和感があったようです。家に楽器もないことだしピアノか何かをやらせておけば子供だからそのうち他に興味が移るだろう、ということで5歳くらいからピアノを習わされていたんですね。ですが、ピアノはなんとなく性に合わなかった部分があって、私の心の中には常にチェロがありました。「いつになったらチェロを習わせてくれるの?」とずっと言い続けていたら、9歳のときに根負けしてチェロを買ってきてくれました。小さい頃私は体がそれほど丈夫ではなかったので、両親としては楽器を弾くことよりも今日一日を元気で過ごしてくれればいい、と考えていたようでした。今では風邪も逃げていくぐらい丈夫になりましたが、チェロを習っていた井上先生が「呼吸と音楽を合わせなさい」と仰っていて、常に深呼吸していたのが体によかったのかなという気がします。
楽器って、それぞれの持って生まれた手の大きさや筋肉、性格的なものも含めて、向き不向きがあると思うんですよね。私は手が比較的大きいので身体的にチェロ向きだったというのもあるし、性格的に求めている音がチェロだったんです。だから早い時期にチェロに出会えたというのはすごくラッキーだったと思います。ピアノの先生は私の手を見てすごく惚れこんで、「是非ピアノをやるといいよ」と言ってくださっていたのですが、自分の性格には合わなかった。チェロのように朗々と歌いたかったんでしょうね。

――長谷川さんは様々な楽器とコラボをされていると思いますが。
一時期いろいろやっていましたね。特に20、30代はチェロの可能性を広げたいという気持ちがすごくあったので、他の楽器のための曲やクラシック以外の曲でもチェロに合うのではないかと思うものはずいぶんアレンジしてもらいました。正直に言うと最初はかなり風当たりは強かったんです。例えばチェロとアコーディオンでやった時も、「そんな楽器の組み合わせは合うわけがない」と言われましたが、「これは絶対に面白い」という確信があって「展覧会の絵」というアルバムを作りました。あれからチェロとアコーディオンの組み合わせで皆さんコンサートをするようになったし、チェロとギターのときも反対意見が多かったのですが、これも私の頭の中には既にチェロとギターが共鳴し合う音が響いていたんです。今ではもうスタンダードな組合せになりました。
20、30代はひたすらチャレンジした時期で、冒険や試行錯誤の連続でした。そういう経験をしてきて40代を過ごしていると、色々な楽器との共演から得たものは多く、自分の奥行きが作れたのではないかなという気はしています。

――他の楽器と演奏するというのは全然違うものですか?
全然違いますね。音の立ち上がりの早さも、弦楽器、ピアノ、アコーディオン、歌で全然違うので、うまく溶け合うにはどうすればよいかというのを考えるんです。ギターの場合は物理的な音量の差があるので、とくにピアニッシモに神経を使います。小さいだけでなく生きたピアニッシモで弾かないといけない。
それからチェロの音は、左手は指先から生まれるけど右手は弓から生まれます。ギターは全てが指先から生まれる楽器なので、もっともっとプライベートな表現や音色があることに気づかされました。色々な楽器の音楽観とか世界観を知ることができたというのは今すごく強みになっていると思います。

――“プライベートな表現”とはどういうことですか?
全てが指先から生まれるってすごいことだと思いますよ。ピアノの場合、指は鍵盤に触るかもしれないけれど、音が出る場所はハンマーが弦を叩いているところでしょう?フルートとか管楽器も指を使っているけれど、音が出る場所は違いますよね。ギターは音が出る場所をまさに触っているわけですよ。音を生んでいる場所が全部“指先のお肉”というのは、音が出る瞬発力が全然違う。もっともっと肉感的、声楽に近いかもしれませんね。

――チェロでいうとピチカートする感じですか?
そうですね。ギター奏者はピチカートのプロでいろんな種類のピチカートができるので、自分の知らない種類のピチカートの世界を吸収させてもらいました。どの音を大きめに出したらこういう雰囲気になるのかという和音の響かせ方も、スペシャリストの世界を見せてもらえて、ものすごく引出しが増えました。

――香りや、絵、ドレスの色など、五感のインスピレーションをいつも踏まえて弾いていらっしゃるとお聞きしましたが。
常にどこかにヒントがあるではないか、探しています。
ありとあらゆる手を使って、お客様に楽しんでいただきたいなと思っているのでドレスもそうです。もちろん一番核となるのは“音”で、音からいろんなことを感じとっていただくのが一番だと思うのですが、レコードとライブの違いはそういうこともあると思うんですよね。ホールがこれだけ美しく豪華になって、そこでお客様がちょっと華やかな気分になって、視覚的にも楽しんでいただけたらいいと思っています。でも来年ぐらいにはユニフォームのように同じドレスばっかり着ているかもしれないんですけど(笑)。

――ヒントというのは、例えばドヴォルザークなら初恋の人が亡くなったとか、文献から勉強できることではなくてもっと五感的なものでしょうか?
ドヴォルザークに限って言えば、彼は森の中で過ごすのが大好きな人で、第1楽章の第2テーマのすごく平和な美しいところは森の香りを感じながら弾きたい。だからは香りだったり景色だったり、インスピレーションを受ける素材は多ければ多いほどいいんですよ。
ラッキーだったのは、私はペレストロイカの前に一度チェコに行くことができたんです。今は本当によくも悪くも変わってしまって、本当に華やかな街になってしまったんですけれども、その当時例えば空港からプラハの街に入る景色はおそらくドヴォルザークが見た景色にかなり近かったのではないかと思います。ドヴォルザークに関してはラッキーなことに最後の残り香を嗅ぐことができました。モスクワにもペレストロイカの前に何回か行くことができたんですけれども、人々の表情や考え方に触れることができたので、例えばショスタコーヴィッチを弾くときにはその経験が役に立っていると思います。モスクワには今はもうマクドナルドもいっぱいありますし、人々もそれによって微妙に少しずつ変化していると思います。さすがにチャイコフスキーの時代までは遡れないけれどもショスタコーヴィッチの最後くらいの空気は嗅げたのかなというのは財産ですよね。今この年になって、弾くこともそうなんですが、新しい若い才能たちに教えるというお仕事もいただいているので、体感してみないとわからないこともいっぱいあると思うんだけれども、そういうことを伝えていくべきだと考えています。それをわかってショスタコーヴィッチを弾くのと、21世紀の今のロシア観だけでショスタコーヴィッチを弾くのとでは全然変わってくると思うんですよね。

――フィンランドに留学されたのは、どこの国とも等間隔の距離で学べるから、と長谷川さんの著書にありましたが、どういうことでしょうか?
私はフィンランドのアルト・ノラス先生に習っていたのですが、素晴らしい先生だったのでいろんな国から生徒が留学していたんですね。授業は個人レッスンの他に、生徒たち全員が集まってそれぞれが弾き合いをしてディスカッションをするというのがあって、同じ曲でもフィンランド人が弾くバッハとフランス人が弾くバッハ、ドイツ人が弾くバッハ、中国人が弾くバッハ、日本人が弾くバッハ、全部違ったんです。
個人の違いももちろんありますが、国の違いはあると思いましたね。言葉のアクセントをどこに置くか、例えばアクセントが最後にあるということは語尾をキチンと弾かないといけないことになる。そういうのはチェロの上手下手は関係なく、この人は語尾に重点を置いているんだなとか、フレーズの頭に重点を置いているんだなとか、いろいろ考えることができます。音の出し方そのものも、ドイツ音楽、フランス音楽、ロシア音楽・・・全部違うので、いろんな国から集まって来た人の弾き方を毎週聴けるというのは違いをはっきりわかるいい機会でしたね。

――日本はクラシックの歴史の浅い国だと思いますが、ヨーロッパの本場のクラシック大国の方がたくさんいらっしゃる中に留学されて、日本人でいることの劣等感を感じられたことはなかったですか?
劣等感はありませんでしたが、日本にいる間は先生の言うことが全て。だからそこで自分の意見を言うというのは考えたこともなかったんです。国民性の違いなんでしょうけれど。でも留学先では皆すごく意見を言うんですよ。それで「自分はこう弾きたい」というはっきりとした意思を出さないといけないんだというのはすごく大きな経験でした。日本だと皆で一緒に弾き合いをするという機会もないですし、先生対個人の1対1のレッスンで、先生が「こう弾きなさい」と言ったら、「はい」と言って全部やるんですよね。私はすごくいい先生につけたので何も困ることはなかったのですが、自分がどう思うかというのを考えたことがなくて、考えて自分の中で「こう弾きたいんです」という明確なビジョンが描けていないと本番で弾いても伝わらない。これはすごいカルチャーショックでしたね。

――逆にフィンランドでそういうご経験をされて日本に戻られたときに、意見が言いにくいとかそういうことはなかったですか?
日本では意見を言っちゃいけないというよりも、言わなくてもわかるように弾けばいいと今は考えています。自分の中で、「私はこう弾きたいです」というのを音で表現すればいい。先に言葉で説明しちゃうとルールばっかり先に決まってがんじがらめになってしまいます。そのルールから自由な発想ができなくなってしまう、というのが私の考えにあるところなんです。だから私が一番好きな居心地のいいやり方として、まず音で会話をする。でもそのためには言葉で説明できるくらい自分の中で理詰めじゃないとだめですよね。「なんとなくここはrit(リタルダンド:テンポを次第に遅く)したい」ではなくて、「こことここは同じパターンだから同じようにritをしたい」、とはっきり自分でわかっていないと音での説明は通じない。口に出して言うか言わないかの違いではあるんですけれど、心の中では言葉にして、でも説明まではしない。できることだったら説明なしで分かってもらえるというのが一番いいんですよね。

――音楽の感じ方は国によって傾向はあるのでしょうか?
日本人の作曲家とかコダーイ、バルトークとかを弾くときは音程感覚を少し考えないといけないですね。コダーイ、バルトークは民謡をずいぶん取り入れているので純クラシックではなくて、民族的な音階をクラシックに取り入れられないかというのをやった人たちなんですね。ですから、いわゆる西洋音楽で“導音を高めにとる”とか“第3音を高めにとる、低めにとる”、とかいうのとはちょっと違う和声感になっているのでそれは気を付けないといけない。でもフランスものドイツものロシアものも音程感覚は大事ですね。
素晴らしいドイツのピアニストと宮城道雄さんの曲を弾いたのですが、全然違う曲みたいでした。それは、すごく説明が難しいですが、和声の感覚の“遺伝子”の違いだと思います。何をどうしたら日本的になる、というのは私には非常に感覚的なもので言葉で説明するのがとても難しいのですが、同じことが私たちがフランス音楽やドイツ音楽を弾くときにそうである可能性があります。そうするとやっぱり彼らが日常でしゃべる言葉や音色を常に耳から覚えていかないといけないと思っています。
言葉のニュアンスやアクセントというのは音楽に反映されるんですよ。でも簡単にはできないですよね。音楽作りをする時は、その国の言葉、文法やアクセントを常に念頭に置いて考えています。

――ほとんどの曲を海外の作曲家が作っていて、だからと言って全部の言語を知ることはできないし、どうやってアプローチするのですか?
ありとあらゆる種類の資料を探しますね。本もそうだし、音源もそうだし、それから言葉ももちろんそうですし、私は言葉はしゃべれないんですけれども、なんとなく聞いていてその国民性ならではのものもある。旅をしたときに一番気になるのは、国民性なんですよ。すごく音楽に密接にリンクしていると思うので、どういう人たちなんだろうというのはすごく気になりますね。フランス人の奔放さ、ドイツ人の律義さ、ロシア人は興奮と悲哀が両極端なんですよね。イギリス人はまず形式がある。イギリス人はアフタヌーンティーとか閲兵式とかしきたりに律義じゃないですか。そういう国民性が曲にはやはり反映していると思いますね。

――人生を通してやってみたいことはありますか?
誰よりも上手く弾きたいという思いは20、30代は考えましたけど、40代になってくるとチェロを上手く弾くというよりも、チェロをツールとして人と人とのコミュニケーションに役立てたい気持ちが起きるようになりました。チェロを聴いたことがない人にチェロの音色を届けるという活動をこれからもっともっとやっていきたいと思います。チェロは私にとっては人と繋がるツールです。“ただ上手く弾く”のは練習すれば誰でもできるんです。だけど、そこから人の心にどこまで深く語り掛けることができるか・・・。あと10、20年してそういうことができるような演奏家になれたらいいなと思いますね。

――貴重なお話をありがとうございました。

2018 年9月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2018年11月現在のものです。
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