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河野 文昭(こうの ふみあき)

category : チェロ奏者のご紹介 2015.4.20 

プロフィール

京都市立芸術大学卒業。1982年に文化庁在外派遣研究員としてロスアンジェルスで、その後ウィーン国立音楽大学にて研鑚を重ねる。黒沼俊夫、G・ライトー、A・ナヴァラの各氏に師事。1984年帰国後、独奏者として各地でリサイタル、オーケストラとの共演を重ねており、フィンランドの作曲家コッコネンの協奏曲、ルチアーノ・べリオの「セクエンツァⅩⅣ」の日本初演も行った。現在アンサンブル ofトウキョウ、紀尾井シンフォニエッタ東京、静岡音楽館(AOI)レジデントカルテット、岡山潔弦楽四重奏団などのメンバーとして、アンサンブルの分野でも、国内外に幅広く精力的な演奏活動を行っている。また1993年~2003年、ゆふいん音楽祭音楽監督の他、各地の音楽祭、講習会の講師として参加。1981年第50回日本音楽コンクールチェロ部門第1位、1990年京都音楽賞、1992年大阪府文化祭賞、2004年京都府文化賞功労賞等を受賞。現在、東京藝術大学教授。

河野さん本文掲載用

河野文昭さんにインタビューさせていただきました。

――チェロを始めたきっかけは?
趣味でギターはやっていましたけど、習い事として楽器を特に何かやっていたわけではなかったんです。ただ音楽を聴くのは好きでした。家にも父親が買ったSPレコードがたくさんあって、ずっとクラシックのレコードを聴いていたんです。聴いていたというか聞こえていたというか。だからベートーヴェンのシンフォニーやチャイコフスキーは、なんとなく知っていました。それで学校の音楽の時間が好きになりました。もしかしたら電蓄(電気蓄音機)とかそういう機械を動かすことへの興味の方が、先にあったかもしれませんが。

中学生の時に親の転勤で札幌に行ったときに、学校の行事で札幌交響楽団の音楽鑑賞教室というのに行く機会があり、そこで生まれて初めてオーケストラの生演奏を聴いたんですよ。ベートーヴェンの運命でした。「すごい!」と思って、背筋に電気が走るようなショックを覚え、すごく感激しました。でもだからと言ってすぐに自分が音楽家になりたいとか、楽器をやりたいとか、そんなことは思わなかったんですが。
その後、神戸高校という普通高校に入りましたが、そこにオーケストラのクラブ活動があって、「面白そうだ」と思って入部したんです。その時も別にプロになるつもりは全然なかったです。体が大きいし「チェロが1台余っているからチェロをやったら?」と言われてチェロを始めたわけです。ところが始めた途端に面白くなって、どんどん月日が経つごとにのめり込んでいきましたね。“負けず嫌い”というほどではないのですが、やっぱり“やったからには人より上手になりたい”という気持ちはあったかもしれないですね。
チェロは先輩が手ほどきしてくれて、なんとなくいい加減に適当にやっていたんですよ。4月に入学して、5月に学校の演奏会でドボ8(ドボルザーク作曲:交響曲第8番)の4楽章を弾かされました(笑)。びっくりしましたよ。弾けるわけなんかないのに「弾けるところだけ弾いていなさい」って。普通はチェロを始めたら、ウェルナーの教則本をやって、ドッツァウアーのエチュードをやってとか、ちゃんと順序があるじゃないですか。一応、教則本は部室にもあって先輩から言われてやりましたけど、あんまり面白くなかった(笑)。あと、初めてチェロの演奏会というものを先輩に教わって聴きに行ったりしていました。当時、岩崎洸さんをよく聴きに行きました。
それから、神戸高校オーケストラ部は、演奏会が目前にない時や夏休みには室内楽をやるんです。夏の合宿みたいなものもあって。たまたまオーケストラ部の練習場が合宿の施設の中の部屋だったので、そこに寝泊まりして朝から晩までみんな練習していましたね。素晴らしい環境です。内容的にはそんなにレベルは高くないですが、一生懸命いろんなことをやって楽しんで、という雰囲気には特別なものがあったかもしれないですね。そういう意味では伝統みたいなものもありました。

神戸高校のオーケストラ部を卒業した先輩の中には京都市芸大に進んだ方が何人かいらしたのですが、その先輩に高3の夏休みに「お前だったら芸大に行けるよ」とそそのかされたんですよ。高校に入った時点では、割と成績はよかった方でしたが、チェロの上達とは反比例するように成績が落ちていった(笑)。機械いじりが好きだったから工学系の大学に行けたらいいな、くらいに思っていたのですが、そうやって先輩から言われてその気になってしまった。おだてられると木に登るタイプなのですね(笑)。決意して親に相談したら「やりたかったらやりなさい」と。家族の中で音楽をやる人なんて1人もいませんし、自分の楽器を買ってもらわないといけないですから、絶対に反対されると思っていたので拍子抜けしましたけどもね。でもやりたいことをやらせてくれたんです。ただ、父親から「音楽大学に行くのなら、楽器は買ってやるけど私立の大学に行かせるお金はない」と言われました。それで家から通えて公立の音楽学校と言ったら京都市芸大しかなかったんです。チェロの先生にも初めてついて、ピアノや楽典、ソルフェージュ(楽譜を読むことを中心とした基礎訓練)も全てそこからスタート。高3の夏くらいからだから受験まで半年程度でした。

――たった半年でできるようになるというのはすごいですね。
もっと前から実践で少しはやっていたんです。
ある時、レスピーギの〈リュートの為の古代舞曲のアリア第3組曲〉を「いい曲だからみんなでやろう」という話になったのですが、当時レスピーギの曲はまだ版権が残っていたので楽譜は市販されていなかったですし、貸し譜を借りるという知恵もお金も高校生には逆立ちしても出てこない。それでみんなでテープに音源を録音して手分けして聴きとってパート譜を書きおこすことになりました。後になって「ササヤさん(ササヤ書店:楽譜の専門店)」にスコアが売られているのを知って、買って帰って見比べたら、「全然違うやんか!」みたいなところがいっぱいあって、随分とんちんかんなことも聴きとっていましたけれども(笑)、聴きとる訓練にはなっていたと思います。
それと、神戸高校オーケストラ部は通常弦楽器だけのクラブで、オーケストラをやる時はブラスバンドから管楽器の人たちに手伝いに来てもらっていました。僕は指揮者もやらされていたのですが、♯がいっぱいつく調の曲をやったりする場合、ブラスバンドにはその為のA管クラリネットがないんです。B管のクラリネットでA管の楽譜を吹けるように移調して楽譜を書き直す、それが僕の役目でした。それが結果的に楽典のための勉強の一つになっていたんだと思います。
そのようなことで、本格的に楽典やソルフェ―ジュを勉強する前から、ある意味ではより実践的にトレーニングしていたのかもしれないですね。

――室内楽の魅力はなんでしょうか?
もちろんチェロ弾きとしてはチェロのソロの曲を弾くことも面白いですが、やっぱり曲が限られているでしょう。ところが室内楽には、作曲家が本当に心血を注いで書いたようないわゆる名曲が山のようにある。例えばベートーヴェンはシンフォニーを9曲しか書かなかったのですが弦楽四重奏は16曲も書いています。だから室内楽はそういう名曲に触れるチャンスが多いんですよ。しかもそれを自分1人のイニシアティブ(主導権)だけでやるのではなくて、弦楽四重奏ならそれぞれ個性も考え方も感性も違う人間が4人集まって、1つのものをやるためにみんなで知恵を出し合って相談しながらやる。四重奏団=始終相談なんて言うんですよ(笑)。オーケストラだと指揮者が前にいて「こういう音楽にしましょう」、というようにある程度指示を出してみんながそれを整えていくということに重きがあるでしょう。だけどカルテットとか室内楽というのはそうではなくて、各人が曲に対する自分のポリシーを持っていないとまとまっていかないので、そこが面白いですよね。自分の知らない考え方に触れてリハーサル中もいろんな発見がありますし、スコアを読んでいるときには気が付かなかったことに気が付くとか、そういうところが面白い。

――そうやってやっていると、意見のぶつかりあいとか出てくると思うのですが、全員が納得するまで、話したり試したりしてやっていくのですか?
グループによって違うと思いますけど、1人の強力な人のイニシアティブにみんながついていくパターンもあれば、意見が食い違ったときにとことん喧嘩しまくる人たちもいれば、上手に話し合いをするグループ、話し合いよりもとにかく合わせて弾いてみつけていくグループ、とか本当にいろんなグループがあるんですよ。
僕は割と恵まれていろんな方に誘っていただいて、今でもカルテットをやっていますけど、そういういろんな経験ができたのは財産だと思っています。室内楽って経験値が物を言うんですよね。楽器を弾く能力だけ高くてもできないですよ。まあそれは1つの条件ではあるけれど。

ところで、京都で定期的にやっているチェロアンサンブルは気が付いたら何十年と続いていて、あの5人のメンバーになってからだいたい10年くらい経ったと思いますが、やっぱり、回数や年数を重ねていくとだんだん音が寄ってくるものですよ。最初からうまくいっていたのではなくて、お互いを信頼し合って、相手の音をよく聴いて全体の中で自分がどういう役割を果たすか、みたいなことを何回も何回もアンサンブルの中でやっていれば、自ずと音が寄ってくる。“ハーモニーがきれい”というのはただ音程が合えばいいわけではないですよね、そのハーモニーのバランスやみんなが出す音色(おんしょく)を考えないといけなかったり、そのためにどういう弓の使い方をしなければいけないかとか、そういうところまで全部寄ってくる。メンバーは皆さん日本音コン(日本音楽コンクール)で一等をとっていらっしゃるような名手ばっかりですけど、お互いの信頼感があって初めて音が寄ってくるんですよね。

――演奏家の方は本当にすごい緊張感の中でお仕事をされていると思うのですが、どのように緊張に打ち勝って演奏されているのでしょうか?
昔からよく言われるのが、“演奏会を1回やると寿命が1日縮む”って(笑)。
緊張への対処法についてですが、この話は生徒にもするんですが・・・東京藝大の教員室にはコーヒーメーカーがあるのですが、そのコーヒーをコップになみなみと注いでレッスン室に持って帰り、飲みながらレッスンしたりもしているんです。ところがレッスン室までは何十メートルか歩いていかないといけない。その時に、なみなみと注いだコーヒーをどうやったらこぼさずに持って歩いて行けると思いますか?
「こぼれるなよ、こぼれるなよ」という感じでコップを見て歩いていると、コップが右に傾いたのを見たら左に傾けたくなるし、今度は左に傾いたら右に傾けたくなるでしょ。そうするとそのうち揺れが大きくなって、こぼれてしまうんです。それを僕は発想を変えて、コップを一切見ない。自分の持っている感覚だけを頼りにし、自分の目は自分の部屋の扉を見、そこへ向って真っすぐ歩いていく。そうしたら絶対に1滴もこぼれない。

例えば“演奏中に手が震える”とします。「震えちゃいけない」とか、「間違えちゃいけない」とか、「上手に弾かなきゃいけない」と思っていると失敗するんです。それは本番の時に“何に対して集中しているか”、ということですよね。コーヒーを運ぶときに自分が目的とする、“部屋の扉を見て真っすぐ歩く”というのは、自分が音楽を演奏することに置き換えるとなんなのか、ということを考えさせる。もちろん一生懸命さらって普段の練習室ではちゃんと弾けるのに、本番になると手が震えてしまう、という人の場合の話ですが。

――演奏会をされるときに気を付けていらっしゃることはありますか?
チェロアンサンブルは、最近たくさんあちこちでやられていますが、我々演奏家の立場で一番気を付けないといけないことは、自己満足にならないようにすることなんです。やっぱりチェリスト同士が集まって自分たちが好きな曲を弾いて、こんなに楽しいことはないわけですよね。それで楽しいだけで終わってしまうとお客さんは置いていかれてしまう。自分たちが感じている楽しさや面白さ、チェロアンサンブルの魅力をお客さんも一緒に味わいましょう、というスタンスがないと。これは別にチェロアンサンブルに限らないですけれども。

私は演奏会でトークを入れることが多いのですが、なぜそうするかというと、お客さんと我々の距離を縮めたいからなんですよ。お客さんに構えて聴いて欲しくないし、一緒になって身を乗り出して、チェロアンサンブルの響きを聴いて欲しい。そのためにほんの少し曲のことやチェロの事情を話してみると、お客さんの構えていた気持ちが少しほぐれて、スッと入り込む余地ができてくるんですよね。

昨年2014年12月から、京都のALTIというホールで年に1回の室内楽シリーズを立ち上げました。「カンマームジーク@アルティ」という題でやっていて、2016年の1月17日(日)には第2回目をやる予定ですが、よく知られている名曲と、知られていなくても我々が研究している中でこれは本当に弾く価値があると思った曲を混ぜようと思っています。ただ、知らない曲をいきなり聴かされて、「なんだこれ」と思われるよりは、弾く前に「この曲はこういうところが面白い」とか、「こういうところにちょっとだけ注目してくださいね」みたいなことを少しお話ししてから演奏するとお客さんの反応が違うんですよ。「わけがわからなかったけど、なんか素敵な曲だった」とか言ってもらえたりする。ちょっとしたスパイスのつもりのトーク、というわけです。

――音楽をされるときに何を伝えようとして演奏されるのですか?
やっぱりまず自分が演奏している曲の素晴らしさですよね。「本当によくできた曲だ」と自分が心から深く共感できる曲の良さ、面白さ、美しさ等々、それを是非お客さんに味わってほしいと思います。
この間の演奏会(カンマームジーク@アルティ)では、有名な曲としてはベートーヴェンのソナタ第3番を弾き、その後実演では弾かれる機会の少ない曲を3曲、ヤナーチェクの「おとぎ話」、一柳 慧(いちやなぎ とし)さんという日本の作曲家の「コズミックハーモニー」、フォーレのチェロソナタ第2番、それらを混ぜたプログラムにしました。ベートーヴェンみたいに皆さんが何十回も聴いたことがあるような曲の方が、かえって我々にはやりづらいのかもしれませんが、そういう曲も入れないと切符が売れないですしね(笑)。
その時結構多くのお客さんがアンケートを書いてくださいました。そうしたら「ベートーヴェンがいい」という方よりも「他の曲がよかった」と言ってくださる方のほうがはるかに多かったんですよ。それって、僕の演奏の良し悪しだけではなく“音楽”を聴いてくださったということでしょうか。「コズミックハーモニーの宇宙空間のようなあの音響世界がよかった」、「ヤナーチェクのおとぎ話の童話を語り聞かせてくれるような、あの感じがよかった」って。それって本来曲が持っている良さですよね。それがお客さんに伝わったことが僕はものすごく幸せだなあと。「音がよかった」とか「あのヴィブラートがよかった」とか、そんなことは別に褒められても嬉しくないです (笑)。なんのためにヴィブラートをかけているか、何のためにその音を出しているかと言ったら、全てその曲の良さを引き出すためにやっているわけですからね。だからお客さんがその曲を本当に楽しんで喜んでくださったときが私には一番幸せな時間ですね。

“音楽”というのは形式感や和声進行、フレーズ構造などの、いわば理屈でできていますが、そこに作曲した人の感性が盛り込まれていて、それがどう素敵か、っていう事も面白いんです。今のお客さんって理屈は聴かないでしょ。例えばハイドンの弦楽四重奏曲を「今テーマが提示されました」、「今度第2主題が出てきました」、「そして、ここから展開部がくる」、「では何調に転調している?」、「どういう風に展開が始まった?」、「どのモチーフを使っている?」、というふうに聴いている人はまずいないですよね。でも、おそらくハイドンの時代は彼が書いた新曲のカルテットを、お客さんは感性だけではなくて、そういうふうに理屈も聴いていたと僕は思うんですよ。当時彼は貴族の為にせっせと曲を書いていたわけですが、貴族にとって音楽は自分たちの教養の一部なんですよね。自分たちで演奏もできる、作曲もできるという貴族はたくさんいた。なぜ当時は理屈で聴いていたかというと、古典派の音楽というのは情感とか情緒を表に出す音楽じゃないからなんですよね。音の組み立てとかプロセスに面白さを感じる。だから、逆に今のお客さんがなぜそういった聴き方ができないかと言ったらロマン派以降の音楽を知っているからなんですね。ロマン派の音楽は組み立てよりもそこ込められた感情に揺り動かされる音楽ですよね。感情表出に重きを置いた音楽を、そのまま感性で受け止めれば十分に曲を味わえるわけですよ。チャイコフスキーのシンフォニーを「組み立てを」なんて聴く必要がなくて、あのメロディーが沁みわたってくればそれで嬉しい。それと同じ聴き方でハイドンの曲を聴くと、そういうものはあまり伝わって来ないし、「ハイドンって退屈な音楽」ということになってしまう。実はそうじゃないんですけれども。

プロとして演奏する立場の人間はそういうことをちゃんと踏まえて、ハイドンの面白さはこういう面白さなんだということを、自分たちがちゃんと理解できてお客さんに問いかけなければいけない。演奏する方がロマン派の曲と古典派の曲を混同してアピールしてはいけない、ということは、生徒には口を酸っぱくして言っています。現代音楽だって理屈でできているわけですが、その理屈がどういう理屈かということを聴かせるのではなくて、そうやって作り上げられたものの中にどんな魅力があるのか、ということを我々は感じとって、お客さんにも共感してもらえるような表現を考えなくてはいけない。
演奏する側の深い理解がそこにあって演奏されたものとそうでないものとでは、お客さんへの伝わり方が違うと思うんですよ。“演奏”の良し悪しだけではなくて、“曲”の良し悪しが聴こえてくるかどうか。それは聴く側にそういう“聴き方”ができた時と、演奏する側にそういう“演奏”ができた時、それらが一致した時に、「この曲って本当にいい曲だな」という風に残るわけですよね。
でも別にハイドンの音楽を感性で聴いてもいいんですよ。全然問題ない。基本的にお客さんが100人いたら、100人の受け取り方がみんな違ってもおかしくないはずですから。逆にそれを凌駕するような、100人が100人とも「素晴らしい演奏会だった」、というようなすごい巨匠の演奏を聴いたときなんかは、もう曲を離れて“巨匠”を聴いているのかもしれないですしね(笑)。どう演奏したかなんてどうでもいい、2時間たっぷりその場にいただけで私は幸せ、みたいなね(笑)、そういう聴き方だってあるはず。本当に音楽が奥深いのはそういういろんな聴き方ができるし、いろんな人にいろんな感動が生まれる、そこがいいのでしょうね。

――教授のお仕事もされて、学生さんにこれは伝えたいことはおありですか?
僕は教える仕事を大学を卒業してからずっとしています。なぜ教えているかというとそれは僕の先生が「やりなさい」っておっしゃって、その理由はおっしゃりませんでしたが「やりなさい」と。それでやっていくうちにわかったことは、生徒に正しくいろんなことを伝えるためには、自分のやりたいことが頭の中で言葉に置き換わっているということです。生徒の前でただ弾いて示すだけでなく、言葉を選んで説明し生徒の理解を深めることが大切なことと思っています。そのことが逆に自分の演奏に際して、自分の考えを具体化しより説得力のあるものになっていくと信じています。そしてそのように演奏を重ねるたびに得たことや深めたことも、その都度言葉にして生徒に伝える。またそれだけではなく、次世代を担う若者の、我々にはない感受性も大切にし、将来に対する自分の音楽観を磨いていくこともとても必要なことと思います。卒業していく生徒たちには、私からも「やりなさい」と言ってあげなくてはね。

それとさっきから言っている演奏会でのトークというのは、本当はなくていいわけですよ。だけど、お客さんと我々との間に、トークがなくてもよい関係を築くためには、演奏する側にも努力が必要だけれども、お客さんの側にも成熟してもらわないといけないと思うんです。
日本ってクラシック音楽が入ってきて、たかだか150年ぐらいしか経っていないんですよ。ヨーロッパの300年、400年の歴史に比べればすごく短い。ヨーロッパみたいに町の中に教会がいくつもあって、そこに行けば演奏会をいつでもやっているような、サークル的な演奏会が日本にはまだまだ少ないと思っています。実は数年前から自宅で演奏会をやっているのですが、ます自分の近辺でサークルを作って、そのサークルで興味を持った人が今度はホールに出かけてみる、そして音楽への興味が深まり、ホールへ出かける習慣ができた人がチラシを見てまた他の演奏会に足を運ぶ、というような方向性がほしいと思っているんです。日本はどちらかというと商業的なことが先にあり、海外の有名な指揮者・有名なオーケストラや演奏家を招き、普段は演奏会に行く習慣がそんなにない方たちが高いお金を払ってそういうのに飛びつく。でもそういう方たちはサロン的な演奏会にはなかなか来てくださらない。もちろん有名な演奏家の演奏から得るものはあるでしょうけれど、それでは将来日本で音楽会というのが本当に広まって行くんだろうか、だったら今からちゃんと小さなところに種をまいて、音楽を聴きに行く習慣が生活の一部となり、コンサートに足を運ぶ、というサイクルを、もう一回ちゃんと作り上げなければいけないんじゃないかなと思っているんです。そこで始めたのが、自宅でのコンサートでもあり京都のALTIホールでの新しい室内楽シリーズでもあるわけです。

実は東京都荒川区の芸術文化振興財団の理事を仰せつかっていますが、荒川区の人が気軽に行けるような演奏会を、ということで日暮里にある100人ぐらいのホールで年4回、シリーズの演奏会を企画する機会をいただきました。面白いと思ってくれるとみなさんリピーターになってくださるんですよ。結構それも定着してきて2年目の昨シーズンは毎回満員に。そうやってお客さんの数や層を拡げていかないと、いざリサイタルをやるというときに親類縁者に電話をかけて切符を売ってもらって、みたいな大変なことになってしまうんです。幸い最近はFacebookとか情報伝達の手段がものすごく便利で幅広くできるから、それを利用してできるだけ多くの人に知っていただき、聴きに来ていただきたい。だけどインターネットとか便利になればなるほど逆に今度はそういうところで簡単に音楽が聴けてしまうわけで、家から出なくなるっていう裏の面もあるんですけどね。

――でも生演奏を聴くのは絶対に楽しいです。
1回でも生演奏を聴いてそういう思いをしてくださった方は次も行こうと思うでしょ。だから まず一歩、家から踏み出してほしいんですよ。アマチュア奏者の方たちは、人の演奏を聴くことでインスピレーションを得て、自分が今度チェロを弾いたときに「こういうことなんだ!」っていう気付きを大切にしてほしい。僕も高校生のときはアマチュアだったわけですよ。岩崎洸さんの演奏会にたくさん行って、もうかぶりつきで見ていましたよ。なんであんなにエンドピンが長いんだろうとか(笑)。そうしたら、翌日には金物屋さんへ行ってエンドピンとして使えそうな太さの長い棒を探してきて、自分で研いで先をとがらせて試していましたよ(笑)。結局人の演奏会での刺激が自分に跳ね返ってくる。エンドピンだけじゃなくてヴィブラートってどうやって掛けているんだろうとか、どういう指づかいで弾いているんだろうとか、全部見て。でも全部いっぺんに覚えられませんから、印象に強く残ったものだけを持って帰って、また次の演奏会でかぶりつく(笑)。
最近の学生はそれをYouTubeでやるんですよ。僕は基本的に指づかいとかボウイングは、自分で自分の方法を考えられるようにするために、色々な要素は教えますが僕のやり方は押しつけません。でも彼らはどういう指で弾いたらいいか、どういうボウイングで弾いたらいいか、不安でYouTubeで見たものを写したりするんですよ。見てもいいけど本当に簡単にそういうことができてしまうから、安易な方向に走るわけですよね。でも演奏会だったら1回何千円もチケット代を払わないといけないし、払ったら払った分ちゃんと盗んで帰らなきゃ、っていう、聴く方の気合も違いますよね。
少子化になって、少子化の世代がYouTube世代で、そういう人たちが大人になったときに演奏会場に来てくれるのかな、って僕は危惧しているんです。その頃僕はもうこの世にいないかもしれませんが(笑)。世の中が便利になればなるほど失うものも大きい。

――目標や今後やっていきたいことはどのようなことですか?
チェロアンサンブルみたいなものはある意味ではエンターテインメントの世界でしょ。だからあのシリーズは幸い毎年1回定着したので、今後も続けられればいいなという感じですけれど、室内楽シリーズの方はまずは5年、10年、軌道に乗れば年に数回ずつ、という風に続けたいなと思っています。継続性が保たれるようプログラミングなどでアピールしていきながら、お客さんの輪が広がってほしいと願っています。そのほかにも自治体や企業、ホールなどにアイディアを持って行って、荒川区でやっているような継続性のある地域活動みたいなことをやらせてもらえたらいいですね。
僕らの若い頃に比べて今の若い人たちには奨学金とかコンクールとかそういうチャンスが本当にたくさんある。でも例えば僕のもう少し下の世代、“中堅”と言われる人たちにもう少しスポットライトを当ててほしいなと思っていてね。そういう人たちは経験が豊かだし、いい演奏だってできると思うし、音楽的な蓄積とか経験からくる魅力みたいなものが絶対にあると思うんです。そういう人たちを応援するようなプログラムって何かないかといつも思うんですよ。実力はあるけどなかなか活躍の場がない人がたくさんいると思うんですよね。そうやって演奏仲間とチャンスを拡げ、お客様を拡げ、みんなで音楽の素晴らしさを愉しんでいけたらと思っています。

――貴重なお話をありがとうございました。

2015年3月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2015年4月20日現在のものです。
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