香月 麗(かつき うらら)
プロフィール
愛知県出身。3歳よりスズキメソード故久保田顕氏のもとでチェロを始める。
2013年第13回泉の森ジュニアチェロコンクール高校生以上の部 金賞。2015年第69回全日本学生音楽コンクール大学の部 第1位、日本放送協会賞。2017年第86回日本音楽コンクールチェロ部門 第1位、あわせて、徳永賞、E.ナカミチ賞受賞。
国際音楽祭NIPPON、調布音楽祭、ラ・フォル・ジュルネ、リオデ徳島音楽祭に参加。名古屋フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、群馬交響楽団と共演。小澤国際室内楽アカデミー奥志賀、プロジェクトQに参加。
桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部ソリスト・ディプロマコース修了。倉田澄子氏に師事。
「ロームミュージックファンデーション」奨学生。
2019年9月よりローザンヌ高等音楽院シオン校にてXavier Phillips氏に師事。
2019年9月現在
香月麗さんにインタビューさせていただきました。
――チェロを始めたきっかけは?
兄がスズキメソードでヴァイオリンを始めました。父と母が、演奏会や美術館に子供と一緒に行けたらいいなと思い、子供も興味が持てるように習い事を選んだようです。私が3歳になったときに、兄と一緒に楽器が弾けたら、と私にチェロを与えてくれました。母が音楽を聴くのが好きで、私がベビーベッドで寝ている頃から音楽をかけていたので、大きくなってから「この曲は聴いたことがある」と思ったら当時母がよく聴いていた曲だったということもありました。
――習いごとは他にもされていたのですか?
保育園のお遊戯会で私がノリノリだったのを見て、ダンスとか体を動かすことが好きそうだということで、保育園から小学4年生くらいまでバレエも習わせてもらいました。バレエをやること自体は好きなのですが、発表会ではお化粧をしないといけなかったので、それが恥ずかしくていつも発表会には出ずに、見に行っていました。今でもバレエを見るのは大好きです。
それから、保育園のときに図書館で段ボール工作の本をよく借りてきて一人で黙々と作っていたのですが、母がそんな私を見ていて、工作教室にも通わせてくれました。今は工作はしませんが、細かいものを見たり、小物を見て「これはどうやって作るのだろう?」と考えたりしています。模型も大好きで、コンサートホールにはホールの模型が置いてあったりするので、つい見てしまいます。窓の中にまでちゃんと物が置いてあったりするのですが、そういうのを見ると嬉しくなります(笑)。建物もお庭も好きですね。イングリッシュガーデンも好きですし日本庭園も大好きで、庭師は憧れの職業です。
――2017年の日本音楽コンクールで優勝されましたが、優勝したことでご自身の中に何か変化はありましたか?
全然変わらないんだということがわかりました。
私が在籍していた桐朋学園には日本音楽コンクール1位の方は、チェロだけではなく他の楽器でもたくさんいらっしゃるんです。前年度の1位も、それより前の方も、先輩でとられた方も後輩でとられた方もいます。だから私が1位をとったからといって、何かが急に変わるわけではないんです。コンクールが終わってしばらくは、今回出場された皆さんが本当に素晴らしかったので、私が1位でいいんだろうか、と考えていました。でも少し時間が経って冷静にいろいろ考えられるようになった時、二次予選から本選まで過ごした1ヶ月弱の時間がすごく幸せだったと気付きました。先生や周りの方々からかけていただいたたくさんのお言葉はこれからも思い出すと思います。そしてご支援あったからこそ今回の結果にたどり着いたことをまざまざと感じ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
それから、日本音楽コンクールには優勝した人が各地で演奏させていただけるツアーがあるのですが、地方にも素敵なホールがあったり、クラシック音楽を楽しみにしている方がたくさんいらっしゃるんだということを知ることができました。
――コンクール後の毎日新聞のインタビューの記事で、「1位の重みを強く感じる」と仰っていましたが、どういうことでしょうか?
日本音楽コンクールのチェロ部門は3年に1度なので、3年前に1位になった方や、6年前の方、それ以前の方たちと、私が今同じ場所に立てているかというと、全然そうではないというのをひしひしと感じます。これまで倉田澄子先生やたくさんの先生に育てていただきましたが、倉田先生の門下でもどこまでいっても追いつけない方がたくさんいらっしゃいます。だから、今は殻を破らないといけない時なんです。
存在感を身につけないといけないなと感じていますし、人間的にももっと成長しないと、と思っています。
――本選のシューマンのチェロ協奏曲の演奏は、映像で拝見しましたが、すごい集中力で素晴らしい演奏でしたね。
あの時は私も「ここで頑張らないと」と思っていたので、自分の中ではダメだったところもいっぱいありますが、一番頑張った演奏でした。この先、楽をしたら全然ダメになってしまうのは目に見えているので、あの時と同じかそれ以上の努力をしないといけない。これからもずっと勉強して、積み重ねることができる練習をしなければいけないなと思います。自分の目標、目指す音をしっかり持ってやっていきたいです。
――1位をとったから“次のステージ”に行ける、というような感じはありますか?何かを乗り越えた感じでしょうか。
“次のステージ”に行く、というのが、今の課題です。
――日本音楽コンクールは日本で権威あるコンクールですから、優勝したらすごく嬉しい、という感じになりそうですが、そうではないのですね。
そういう方もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合はとにかく必死で、全然余裕がなくて本当に綱渡りでした。門下の方の中で“弾き合い会”という練習会をさせてもらったり、何回も失敗してあの舞台に立ったので、これからもそのくらいやらないといけないんだなと身に染みて感じています。
でも、コンクールで弾いていて、楽しい!と思った瞬間がありました。二次予選でもありましたし、本選のときも3楽章になったところでやっと面白い!と思ったのですが、一瞬でもそう感じられて幸せでした。そういう経験をしたいからまた頑張ろうと思います。
東京で勉強している間は倉田先生やピアノ伴奏をしてくださっている諸田由里子先生がすごく支えてくださったので、先生方に教えていただいたことを整理して、フィードバックして、自分の中にちゃんと納めて留学しようと思っているところです。
小学生の頃、私は音楽に対して厳しかったので、小さい頃の自分が今の私のチェロを聴いたらなんて言うかということを考えて、その厳しかった自分を、今、自分の先生にしています。
――2016年の某記事で、「室内楽も楽しいし、オーケストラも楽しいしまだ何をするか決まっていません」と仰っていましたが、今はビジョンとしては何か変化はありましたか?
在学中は学校の中のオーケストラにのったり、先生や先輩に声をかけていただいて、演奏の機会が与えられ、よい環境で学ばせていただいていたのですが、今は卒業してそういう環境ではなくなりました。一緒に弾かせていただけるかどうかは、1度ご一緒した方が私とまた一緒に弾きたいと思ってくださるかどうかなので、そう思っていただけるような演奏家になりたいと思っています。だからまだオーケストラに入りたいとかソリストになりたいとか言える立場ではなくて、まだまだ研鑽を積む時期なんです。
――音楽コンクールのシューマンは何に気を付けて、どんな気持ちで弾いていらっしゃいましたか?
演奏会のときはお客様の顔が見えた方が嬉しくて、あそこにあの人がいるからそこに向かって弾こうとか、お客様の存在がパワーになります。でもコンクールのときは、亡くなった恩師がホールの上の方にいらっしゃるような、遠いところを感じるようにしていました。
それからオーケストラと一緒に弾くということで、私なりにオーケストラのいろんな音と一緒に弾く楽しさを噛みしめながら弾いていました。チェロの方とのデュオがあったり、ビオラの方々とも絡み合うところがあったり、管楽器の方と会話するところもあったりするので、そういうのを楽しんでいました。誰かと一緒に弾くというのは楽しくて好きなんです。
シューマンのことや演奏についてはコンクール前日までは考えていましたが、当日は私が注意すべき右手のことなど1、2個についてだけ考えて、それ以外はとにかく音楽に集中するようにしていました。コンチェルトを弾くからといって自分が主役で「ついてきて!」というわけではなく、会場の雰囲気もあって上手く流れに乗って音楽が広がっていくように、と思っていました。音楽が小さくならずにホールに音が浸透したらいいなと思い、そうすると自分の体の使い方もそうなるかもしれないと考えていましたが、録画で見ると「小さいな」と思いますね(笑)。
舞台袖では、オーケストラの団員の方々もにこにこして「頑張ってね」という感じでしたし、コンクール出場者の他の子たちも見送ってくれるので、「行ってきます!」という感じで舞台に出て行けました。本番前は心ががさついてはいけないので「どうしよう…」とかは絶対思わないように気をつけます。目線がきつくなってぴりぴりするような感じもマイナスだと思うので、できるだけ自然に、でも指は動くように準備体操したりしています。少しでも「行くぞ!」って右肩が前に出たりすると、オーケストラの方々もお客さまも受け入れがたくなるので、気持ちや体勢は“力み”もなく“攻め”もなく、できるだけ真正面から向き合うように、というアドバイスはとても大切にしています。
――スイスに留学されるそうですがなぜスイスを選ばれたのですか?
倉田先生が学生時代にフランスのパリで勉強していらっしゃったということで、私も先生と同じような音楽性のところに行きたいなと思っていて、フランス系の先生を探していました。大学に進学するときに1度留学してみようかなと思ったこともあったのですが、まだ早いということで桐朋のソリストディプロマコースに入りました。3年生のときにグザヴィエ・フィリップ氏がラ・フォル・ジュルネ(クラシック音楽祭)で東京にいらっしゃってマスタークラスをされるということで生徒募集のお話がありました。フィリップ氏のことはそのときは全然存じ上げませんでしたが、偶然日程が空いていたのでせっかくの機会だからレッスンを受けてみようと思ったのが始まりです。バッハの無伴奏チェロ組曲第6番のサラバンドのレッスンを受けて、腕の使い方を教わったときに「すごく大事な、赤ちゃんとか小さなものを抱いているような感じで」というふうに仰って、それがすごく心に響いて、特に印象に残っています。その後スイスに行って何回かレッスンを受けました。まだ先生のことはわからないですし、先生も私のことをわからないと思うので、これから2年ぐらい先生を追いかけてみようと思っています。ヨーロッパ各地で演奏会をされている方なので先生の演奏会にたくさん行きたいなと思います。桐朋に行ってすごくよかったことの一つが、室内楽やオーケストラで本当に素晴らしい仲間に恵まれて刺激をいただけたことなので、スイスでも室内楽やオーケストラなどできる限り取り組んで、いろんな国の方の中で自分にない物をみつけながら、自分が大切にしたいものもみつかるといいなと思っています。
――これから、チェロに関することでもチェロ以外のことでも、やってみたいことはありますか?
元々田舎で育って自然が大好きなので、スイスに行ったらまず自然を満喫したいです。
それから今年から日本でアウトリーチ(福祉などの分野における地域社会への奉仕活動)をさせていただけることになりました。弦楽四重奏を組んで小学校や病院で演奏します。どういうふうにしたら子供たちが興味をもってくれるのかとか、まだわからないことがたくさんありますが、そういう活動もずっとしたいと思っていたので楽しみですね。子供たちは興味があるときとないときがはっきりしていて、興味がある曲になるとテンションが上がるのですが、それがかわいくて嬉しくて!小学生の子は初めて生の演奏を聴くかもしれないし、もしかしたら生で聴くのはこれが最後かもしれません。今後も音楽を聴きに行くかどうかを決めるのは最初の印象だと思います。子供たちや聴いている方にあっと思わせるのは、一番シンプルで大切なことだと思うんです。子供たちにこれからも音楽を聴いてもらいたいと思うので、“第一印象を与える”ということにはすごく責任があると思っています。
――ヨーロッパで研鑽を積まれるにあたって、考えていることはありますか?
海外に行ったらお客さまは私のことを全然知らないし、ゼロからやり直しだと思っているところがあります。マスタークラスに参加して気づいたのですが、向こうの方は「よかったわよ」とか面識がない方でも直接言ってくださるんですよ。受講生同士喋ったことがない子でも演奏を聴いて「すごく好き」と言ってくれるんです。日本が冷たいというわけではないんですが、割と日本だと、私なんかが言ってはいけない、という遠慮があったりして。海外では反応がストレートに伝わってくるので、そういう場で自分をちゃんと発揮できるようになりたいなと思います。
――貴重なお話をありがとうございました。
2019年6月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2019年9月現在のものです。
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