林 裕(はやし ゆたか)
プロフィール
名古屋市立菊里高等学校音楽科を経て東京芸術大学音楽学部卒業。1992年第52回日本演奏連盟新人演奏会で名古屋フィルと共演し、日本演奏連盟賞、中日賞を受賞。1993年大阪フィルハーモニー交響楽団首席チェロ奏者に就任(~1996年)。同年に開かれた、第62回日本音楽コンクールで第1位・黒柳賞を、さらに読売新人音楽賞も受賞し、一躍注目を集めた。これを契機に、ソリストとして活発な演奏活動を展開。協奏曲のソリストとしての起用も数多く国内外のオケと多数共演。中でも、94年朝比奈 隆指揮=大阪フィル定期演奏会における、ドヴォルザーク・チェロ協奏曲の演奏は絶賛を博した。
1996年アフィニス文化財団及びローム・ミュージックファンデーションの奨学生に選ばれ、ドイツ・フライブルク音楽大学大学院留学、首席修了。
1998年A・タンスマン国際音楽コンクールでファイナリストとなりディプロマを取得。青山音楽賞、松方ホール音楽大賞、兵庫県芸術奨励賞、名古屋市民芸術祭賞、神戸市文化奨励賞、神戸灘ライオンズ音楽賞など受賞多数。
「Cellist=Composer・Collection」に対して、名古屋音楽ペンクラブ賞、大阪文化祭賞グランプリ、音楽クリティッククラブ賞本賞、文化庁芸術祭新人賞を受賞。
また兵庫県芸術文化センターシリーズの年間支持率No.1になった。CD「SOLO ist」にシュタルケルが賛辞を寄せた他、レコード芸術の特選盤になった。平成25年「Cellist=Composer・Collection OPA!POPPER」にて文化庁芸術祭賞優秀賞。チェロを林 良一、堀江 泰氏、三木 敬之、R・フラショ、B・ペルガメンシコフ、C・ヘンケルの各氏に師事。「いずみシンフォニエッタ大阪」のメンバー。
現在、相愛大学准教授、神戸女学院大学非常勤講師。2012年泉の森コンクール審査員。2013年ポッパーチェロコンクール、2014年トルトゥリエチェロコンクール審査員長。
〈林裕 official website http://www.yutaka-hayashi.vc/ 〉
林 裕さんにインタビューさせていただきました。
――チェロをはじめたきっかけはなんですか?
父親(林良一さん)がチェリストということもあって、幼少のころからチェロに触れていました。ちゃんと構えたのはたぶん3歳だったと思います。でも親子でのレッスンはなかなか難しいものもあるので父から定期的にレッスンを受けていたわけではないんです。名古屋青少年交響楽団というところに小学校5年生のときから参加していたので週1回オーケストラの練習時間だけチェロに触れている、というような感じでしたね。中学3年生ぐらいになって、ロストロポーヴィチ演奏のドヴォルザークのチェロコンチェルトを聴いて、こんな曲を弾けたらいいな、ということだけでチェリストになりたいなと思い始めたんです。
――お父様が有名なチェリストですがプレッシャーはなかったですか?
その頃は全然なかったですね。たまたま父がチェロの先生だったっていう感じですし、自分がチェリストになりたいと思ったのも、レコードを聴いて“こういう演奏をしたいな”という気持からでしたので。でもチェロに出会えたきっかけは父ですので、とても感謝しています。あと弓のコレクションも素晴らしいと思います。自分にとっては道具でしかなかったわけですが、10代の頃から良い弓で弾かせてもらっていて、いつも綺麗で、今思えば弓のケースは宝箱の様でした。
家で練習していると父が本の整理なんかしながら何か言うんですが、反抗期で反発心があるのでその頃は全然言うことを聞かなかったですね。だから高校時代は勝手に弾いていました。エチュードを初めから終わりまできちんと弾くということは全然できなくて、大学に行っても苦労しました。でも当時から、ここを弾くにはどうしたらいいのか、っていうのを自分で考えて、気になったところを集中的に練習するということはすごくやっていましたね。
――チェロを弾くときはどういう気持ちで弾かれているんですか?
“素直に曲と一緒に”とは思っていますよね。自分の中で結構曲のアプローチはしていて、このメロディに対して、このあたりは陰っているのか明るいのかっていうのを的確に当てはめようと思っています。チェロの一番いい音が出そうなところで魅力を最大限に出すためには、他のところを抑えるっていうのも必要だと思うんですね。そういうことをしながら一番いいところをちゃんと盛り上げられるように、プランをたてて演奏しますね。
――お若いときからそういった感じですか?
割とそういう傾向ですね。だからピアニストが大変なんです。「この部分はこう弾きますよ」ともちろん伝えて練習は積むんですけれども。音楽を自然な形にするためには結構いびつなんですよ。テンポ通りきちんと弾ければ誰でも似た演奏になっちゃうんですけど、いかに“インテンポ”っぽいリズムに、最大限表現を盛り込めるか、また平面で白黒の楽譜をカラフルで立体的にしようかな、っていう気持ちは自分で持ちながらやっています。ポップスやロックと違って、意外にもクラシックは自由なんです。あと、昔から強弱とか表情付けはしようとは思っていましたね。若い時は、チェロの魅力は音を出すことだと思っていたので、とにかく音を出すことばかり考えていました。
――今何か取り組まれていることや、こだわりはありますか?
楽譜を収集することと、奏法の研究です。楽器や弓がどの様な形状であれば演奏し易くなるか、まずは“イナズマエンドピン”からご説明いたします。
(イナズマエンドピンを実際に見せていただきました)。
その仕組みをハンガーを使って説明すると、この状態(図1)はすごく安定するんですね。弓でこすろうとしたときに楽器がぶれない感じ。でも逆向きになっていると(図2)ひっくり返りたくなりますよね?この状態で弾こうとしていたのがトルトゥリエが考案した曲がったエンドピン、“トルトゥリエ・エンドピン”です。ロストロポーヴィチがトルトゥリエ・エンドピンを使っていて、彼が広めたようなところもあるかもしれないんですが、ロストロポーヴィチと僕はほとんど背の高さは一緒なんですけど、彼は背の割に足が長くて座ったときに上半身の位置が低くなり、そういう人は元々楽器を支えやすいのでトルトゥリエ・エンドピンでもうまく構えられます。腕の重みが乗りやすく、ハイポジションが弾きやすいというのもトルトゥリエ・エンドピンは理にかなっているんです。僕はロストロポーヴィチに憧れていたのもあって、奏法を真似してトルトゥリエ・エンドピンを試したときがあったんですが、なかなか東洋人の体格でその姿勢をできる人はいないんですよね。
――ではトルトゥリエ・エンドピンの利点は何なのでしょうか?
ヴァイオリンを構えたときのように、チェロもできるだけ楽器を水平に近い状態にして音を上に飛ばして響かせることができる、というのが利点です。実験したら本当にその方が鳴っていたらしいです。エンドピンの先端から楽器の頭まで直線を引いたら、トルトゥリエ・エンドピンの場合は楽器がその線よりも上にあるんです(図3)。その状態で弾くと楽器が回転しやすい状態になっているんですけれども、それを逆にしてやれば安定するわけです。だからポイントとしては、エンドピンの先端から楽器の頭まで引いた一直線よりも楽器が下にある必要があるんです。そうすると楽器がぶら下がった状態でとどまろうとするんです。その状態にできるのがイナズマエンドピンです(図4)。楽器がぶら下がっていてくれれば弦が常に上を向き続けるということなので、その状態で弦がこすれればベストなわけです。こすった方向に楽器が寄って行こうとするので、より摩擦が多くなるんですね。
トルトゥリエ・エンドピンの場合は弓でこすろうとすると楽器自体が回転しようとして弦から弓が落ちていってしまうんですが、イナズマエンドピンの場合は楽器が逃げずに上がっていこうとするんです。発音するにはすごく有効で、弓をちょっと動かしただけでもすぐ反応してくれるような感じになるんですよ。支え方が別世界ですよ。グランドピアノを弾いているみたいな感じで、楽器が動かないんですよ。だからヴィブラートも、これまでいかに楽器を支えながらヴィブラートしていたか、っていうのがわかるんです。イナズマエンドピンで弾くと自然に左手を振っただけでヴィブラートがよくかかるんです。楽器が安定しているので重みを楽にかけて、その状態のまま左手を振ればいいだけという感じになります。シフティング(ポジション移動)もおさまりやすくなります。やっぱりふらふらと楽器が動いてしまうと正しいポジションのつもりでも余分な動きが入って違う音程に行っちゃうんです。あとはもう楽器がぶれないので、音程を外したら自分のせい、っていう感じです(笑)。太さも一般的に8ミリだと思いますが、僕が使っているイナズマエンドピンは12ミリあります。しならないために太くしてあるんです。過去には、初代イナズマエンドピンの演奏中に感じた“しなり”を軽減するために貫通させた【4の字固め】もありました。
――イナズマエンドピンは、慣れないと弾きにくいものですか?
“慣れないと弾きにくい”のではなくて、“弾きやすく”なるんだと思います。今まで楽器を支えるためにこんなに色々していたの?って感じると思います。
《イナズマエンドピンに関してのお問合せ :株式会社 アーバンマテリアルズ TEL:0798-39-2001 MAIL:yoshi@urbanmat.co.jp HP:http://www.urbanmat.co.jp》
――裏板にも工夫があるそうですね?
“ユーモレスク”というヴァイオリンの肩あてみたいなものが付いています。右足は普通に楽器の際を支えているんですけれど、左足のところに飛び出たパーツが付いていて、エンドピンを長くして腕の重みを乗せやすい状態にしていても自分の姿勢が自然な状態に保てるようになっています。これは実用新案と意匠登録をしています。これも自分で考えて、最初は自分で作りました。モノづくりが好きで、昔から工作をよくしていましたね。
――楽器の研究をされるのがお好きなんですね。
そうですね、指板の形状も自分の好きな形があります。指板ってアーチ状に回り込んでいますよね。そこに指をあてがうというのは意外と指を添わせてあげないといけなくて、高いポジションに行くときもやりにくいので、僕の指板は割とフラットにしているんですよ。そうすると、楽器の肩を通り越してハイポジションに移動するときにそのままの手の形で行けるのでスムーズですし、腕の重みを乗せやすい状態のまま移動できるんです。
それから、弓も自分で作ってみたんです。有名な弓の真似をしようとかではなくてコンセプトがあって。チェロの弓は太くて硬いので、ヴァイオリンに比べると飛ばし(弾ませ)にくいんですよね。ですからスティックと毛の間をもっとあければ、ちょっと緩く弓を張っても強く弾いたときにスティックを弦にすらずに済むので、弓を弦に押しつけることもできるし、すごく弾ませられるんです。でもそうすることによって何が起こるかというと、普通に真っすぐ弾いているつもりでもちょっと捻る動作が含まれると、弓が振られてしまいます。普通の弓だとあんまり感じないんですけど、スティックと毛の間があくほど振られる力が多くなるんですよ。そうするとすごく弾きにくくなるので、今度は木の反る方向を決めれば安定するだろうと。大抵スティックは丸やちょっと三角っぽい断面なんですけど、それを楕円みたいな形にする。そうすることによって弓を押しつける方向が安定してくるわけです。スティックと毛の間があいている弓を作ったことがあるんですが、断面が楕円になるアイデアをいれればベストな弓ができあがってくるんじゃないかな、と考えています。
それから、毛の面を下にして机に弓を置くと、スティックも毛と並行になっていますけど、平行である必要があるのか疑問に思ったことがあって。その角度がちょっとぶれていてもいいんじゃないかな、と。弓を起こしながら弾くのって大変なことですよね。「弓の毛を全部弦につけなさい」と言われてもすごく弾きにくい。手の形が自然な状態で毛が全部付くような角度に最初から弓ができていれば、よりきちんと毛が当たるんじゃないかと。弓を放り投げたら自然にその向きに行きたがる弓であってくれたらもっと弦に吸いつくと思うんです。弓の先端の形状も自分なりの形のイメージがあったりして。
そこまで本当はやりたいと思うんですけど、いろんなことをやっているので時間がなくて。でも考えだけはそうやっていろいろありますね。少しでも弾きやすくしようと、楽器の裏に付ける“ユーモレスク”を作ったときに、「そんなこと考えるより、さらう(練習する)方が早い」って先輩に言われたんですけど(笑)
――普段は作られたその弓を使われているんですか?
使っていないです。「弾きやすいですよ」と言ってくれたチェリストの友人もいたんですけど、僕にはまだまだ弾きにくかったので。でも1つ作ったことによって結果が見えてきたかな、という感じはしますけどね。伝統にとらわれずに、弾きやすくするための方法はいくらでもあるのかな、と。
――エンドピンの材質を変えると音がすごく変わると言いますが…。
今使っているのは鉄とアルミの合金で、振動がすぐに止まるという素材なんです。“音を床に伝える”という考え方で昔はやっていたと思うんですけれど、逆にそれが音がモゴモゴいってしまう原因でもあるんですね。音が床に伝わるということは、音そのものは大きくはなるんですけれども、焦点が絞られるのではなく散ってしまうんです。発した音がきれいに響いてくれればいいんですが、ボヨーンと床に伝わって、いくら大きくても聞こえにくい音になってしまうんです。ですから、ホールにもよるんですが響きが多い空間だと振動がすぐに止まるこのエンドピンは有効なんです。締まった音になるんですよ。振動が止まっていると純粋に楽器の音だけになるんですよね。余分に振動が伝わって行かない分どこかで共振して雑音を拾ってきたりしないんです。響けばいいってものではないと思うんですよね。残響が少ないホールだと少しでも響きに助けてほしいところはあるので、そういうときはエンドピンを戻したりするんですけど、たいていの今のホールは空間が響きますから。一番響いて伸びやかなところは自分で伸びやかにすればいいのですが、細かい音が通らないことが多いので、細かい音がクリアに聴こえることを心がけてエンドピンもいろいろ選んでいますね。
――イナズマエンドピンは取り外し式なんですよね?
そうなんです。大した苦労ではないのですが、問題はそれだけです。自分が使っているものは1メートルあって、楽器から出ている部分は少しでも残りは相当楽器の中に入っているんですよ。入っている長さが短いと捻る力が多くなってしまうので楽器にはすごい負担なんです。棒の端を持つのと中央を持つのとでは全然重さが違って感じますよね。端を持つと大変ですが、中央を持てば楽になります。エンドピンの重さの中央を留めるようにすれば楽器に負担はかからないんですよ。だからすごく長くしてあるんです。楽器に負担をかけないように努力もしないといけないと思うので。
エンドピンを留める角度もちょっと斜めにするだけで違う感触になるんですよ。ダウン(下げ弓)は誰でも自由に発音できるんですけど、たいていアップ(上げ弓)が苦手ですよね。それに適した角度で留めればアップの反応がよくなるんです。構えたときに楽器の表板がまっすぐ正面を向くようにではなくて、C線側(奏者から見て楽器の右側)が体に少し沈むくらいに傾けて留めるんです。その状態にしておくとアップの動作に対してスッと音が出ます。楽器が受け止めてくれるんです。1つ1つそういうことの積み上げですね(笑)。
普段使っている楽器は、大学を卒業する前から使っている“リナルディ”という1896年のトリノの楽器なんです。明るくてよいのですが、その代わりに深い音が出ないんです。頑張って深くしているんですけど。でもイナズマエンドピンのおかげであの楽器が一番鳴るような奏法になっているとは思いますよね。もう本当にイナズマエンドピンじゃなくなるとへたくそになりますよ(笑)。楽器って、自分よりも生命が長いので伝統を受け継いでそのままの形で後世の人に受け渡していくっていう感じがありますよね。でも自分が弾くには、楽器に寄ってきてほしいんですよね。寄り添ってくれることによってようやく弾ける。
――今は相愛大学の准教授としてのお仕事やコンクールもやられていらっしゃいますが後進の指導に力を入れようということですか?
そうですね、ライフワークにしているんですが、“チェリストが書いた曲”というのをテーマにした「チェリスト=コンポーザーコレクション」という演奏会をしています。埋もれてしまっているけれども本当にいい曲がたくさんあるんですよ。作曲家が作った曲はすごく複雑ですが、チェリストが書いた曲は悩まず書いている感じで素直すぎるぐらいに思います。技術的にも華やかで、和声的にもあんまりイレギュラーなことはしないというか。現代音楽が作曲の主流だった20世紀初めの頃には、古い音楽という感じで廃れてしまったんです。作曲家を目指した若きカザルスの作品も本人の意思により100年ほど封印されていましたし。カザルスがバッハを復活させたことでそれまで弾かれていなかったバッハの無伴奏組曲が弾かれるようになったり、コンチェルトがいろいろ書き上がったり、また、ロストロポーヴィチによるロシアの作曲家への働きかけによって新たなレパートリーが出現したり、というような時代の中で、チェリストが書いた曲は廃れていってしまったんです。でも昔と言っても100年ぐらいのことですので頑張って探せば割と出てくる、っていう程よい感じの埋もれ具合なんですよね。それを今引っ張り出して演奏しているんです。チェリストが書いた楽譜のリストを作っているんですが、自分が持っている楽譜だけでも400ぐらいあります。持っていない楽譜も書き込んでいるのでそれも含めたら1000を超えていますね。
――チェリストが書いた楽譜を収集するきっかけは、なんだったのですか?
僕の大学時代の先生である三木敬之先生が退官されるときにご自分の持っていた楽譜を学生たちに配ってくださったことがありました。その中に、カサドが書いた楽譜があって、カサドってあんなに有名な人なのにこんな知られていない曲があるのか、と思ってそれがすごく新鮮で、それ以来曲探しを始めたんです。
――演奏会をやるたびに有名な曲に混ぜて演奏されているのですか?
ここ10年ぐらいそうですが、むしろ逆ですね。あんまり知られていない曲ばかりを弾きたいんだけれども、それだとお客さんが来ないだろうから有名な曲を混ぜている、という感じですね(笑)。
――聴いている方にとっても、すごく新鮮ですね。
曲としては聴きやすいんですよね。あと、録音が残っていないので、自分でアプローチをしないといけない責任感もありますが、逆にそれが楽しかったり。バッハだったらノンヴィブラートの方がいいのかな、とか、間の取り方、空間への音の放ち方、装飾音のかけ方とか本を読んで一生懸命勉強するんですけど、そういう縛りが全然ないですよね。「こうあるべき」っていうものが全然ないので、純粋に曲からここはこういう場面なんだろうな、っていうのを自分で考えて演奏できるんです。模範演奏がないのが楽しいし、逆に自分が模範にならなきゃいけないっていう責任はありますが、そういう面白さがありますね。
それから、できるだけ同じ傾向の曲ばかりにならないようにしていますね。だから曲選びも難しいですよ。音源がないので、聞き覚えでこの曲をプログラムに組もうということができないんです。たいてい楽譜しかなくてピアノも弾けないので、どんな曲かもわからないままピアニストに一緒に弾いてもらって録音して、ようやく曲がわかるんです。チラシを作った後でも、プログラムを印刷するまでに手に入れた楽譜があって、今がタイムリーなときだと思えば、その曲をプログラムに入れたりもするんです。曲がわからなくてもこの人の曲がこのプログラムにあったら絶対いいだろう、という思いでとりあえずプログラムに載せてしまいます。それから練習して曲を知ります(笑)。チェリストが書いている曲はまず弾けるように書いてくれているのでその点信頼していますし、自分の気持ちとしてもチェリストが弾いたんだから絶対弾かなきゃ、みたいなところもあります。そういうのも面白いですね。
――これからも知られていない曲をどんどん世の中に出していきたいという感じですか?
そうですね。それはもう一生かかってやっていこうかなと思っています。次々に発表していきたいんですが、1回しか弾いていない曲があるのに、どんどん新たに手に入れた曲を弾いていったら、1回しか弾いていない曲はまた忘れ去られてしまうと思うので、毎回リサイタルのプログラムは録音しています。ただ、使う写真もこだわってしまうので、CDにするのも結構時間がかかるんですよね。次に出そうとしているCDがあるんですけれども、もう1年以上かけていますよ。その“作曲家チェリスト”に対してのコメントもいっぱい書きたいっていう気持もあってなかなか進んでいかないんです。でもせっかく録っているので、辞典みたいになるといいかなとは思っているんです。演奏会を開こうと思う今後の人たちの、曲選びのきっかけになったらいいかな、と思いながら。
――写真を撮る場所もイメージに合うところを探されているのですか?
そうですね。スタジオで撮るのではなんとなく満足がいかなくて。せっかくやるなら、って思っちゃうんです(笑)。CDが売れない時代と言われていますが、CDを手にした人が、コピーして中古で売ってしまえばいいや、とか、ブックレットもコピーしちゃえばいいや、っていう気持ちにならないように、“大事にしたい”と思うようなものにしたいんです。味わいのあるもの、そういうものができればいいかなぁ、と思って作っています。
コンクールも自分のライフワークの一つで、チェリストが書いた作品を後世の人たちや学生たちに伝えていこう、というような気持ちでコンクールを開いているんです。こちらが決めた課題だけを弾かせるのではなく、“曲を探してくること”を課題にしているんです。決められた課題と、それ以外にトルトゥリエ作品を自由曲に選んでくれたらトルトゥリエ賞の受賞対象者になりますというふうにしておけば、自分で曲を探すという行動をしてくれるかな、と思って。ソナタしかない、ドヴォルザークしかない、バッハしかないみたいな、今まで聴いたことのある有名な曲だけではなくて、楽譜を探すことから勉強していって欲しいなと思います。個性のある人間に育っていってほしいと思って、そういうコンクールも開いているんです。
――やりたいことが全てつながっているんですね。
課題を決めてしまうとたいていはメジャーな課題になるので、そうすると普通のコンクールと一緒になってしまうわけなんですが、別にそんなコンクールだったらわざわざしなくてもいいんです。自分がやっている活動と同じことを学生たちに伝えていくには、そういう課題の出し方をすれば、と思ったんです。それから曲を探すことだけではなく、学んでほしいことの1つに、「自分で音楽を構築する」というのがあります。誰かの録音を聴いてそのとおり同じように弾くというのはできるんですよ。CDだけでなくYouTubeでも録音が手に入ってしまう世の中ですし。でも音源がなかったら自分で表現しなければいけないんです。自分で音楽を構築する、演奏のスタイルや表現を作る、ということが大事だと思うので、極力録音のないようなものを選んで、学んで欲しいですね。そういった面でも学生たちに育っていって欲しいなと思うので、そういうコンクールを作っているんです。
――普段やっぱり知っている曲ばかり聴いてしまいますし、今まで埋もれていたような曲を演奏会で弾かれる方はあまりいらっしゃらなかったので、そういう曲を残していただけたら私たちは嬉しいです。
もうガンガン出していきます(笑)。1枚目のCDは自分で編曲したものもあったり、結構珍しい曲ばかり入れたんですけど、その後作った「セルゲイ・スクエアード」という2枚目のCDにはメジャーな曲が多く入っているんです。しかし1枚目と比べると2枚目のCDは反応があんまりないんですよ。セルゲイ・スクエアードは発売して半年くらいですけど、名曲だったとしてもわざわざ僕の録音を買うか?、っていう疑いが自分にもあって。やっぱり自分のやりたいことと一致しているものを発表していった方がCDを買って下さる方とも波長が合うのかな、ということを自分では感じますね。珍しいものを出していくことに力を注いだ方がいいのかなと。ブラームスをいくら調べ倒してももっと調べている人はいくらでもいるわけだし、今までにないエピソードをみつけようとしても、自分がブラームスに会って話して新たな情報を仕入れたわけではないので、それはもう既に誰かが書いていることなんですよね。春にはCellist=Composer・Collectionの第一弾として、収録曲が全てポッパー作品の【Werke von Popper】をリリースします。今後もどんどん発表していきますので、ご期待ください!!
――貴重なお話をありがとうございました。
2015年1月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2015年2月15日現在のものです。
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