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溝口 肇(みぞぐち はじめ)

category : チェロ奏者のご紹介 2016.2.2 

溝口 肇〈チェリスト・作曲家・プロデューサー〉 プロフィール

3歳からピアノ、11歳からチェロを始める。東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻卒業。
学生時代から八神純子、上田知華とカリョウビン等のサポートメンバーを務め、大学卒業後スタジオミュージシャンとして6年ほどレコーディングに携わる。
24歳の時に自身が起こした自動車事故によってムチウチ症となり、その苦しみから逃れるため「眠るための音楽」を作曲し始める。スタジオミュージシャンとしての経験から「眠るための音楽」は自分自身のソロ楽曲として書きためられ、1986年『ハーフインチデザート』(Halfinch Dessert)でCBS SONYよりデビュー。以後、クラシック、ポップス、ロックなど幅広いジャンルで演奏・作曲活動を展開している。
作品には、映画音楽 やテレビ番組の音楽として用いられているものが多い。28年続いている番組「世界の車窓から」のテーマ曲はあまりにも有名。また、日本たばこピースライト、ギャラクシ-企業イメ-ジのCMにも出演し、多くの人々にその姿と音楽を、印象づけることになった。テレビ番組に自身が出演する機会も多く、特に旅番組には数多く出演している。

代表作品
テーマ曲(現在放映中):世界の車窓から(テレビ朝日)、ソロモン流(テレビ東京)、ジェットストリーム(T-FM)、ヨーロッパ空中散歩(BSフジ)、シチズンサウンド(J-WAVE)
テレビ・映画:東京タワー、オードリー、ビューティフルライフ、星の金貨、ピュア、この世の果て、etc.
ラジオ(メインパーソナル);ポップセンサー(TーFM)、ラ・ミューズ(TーFM)、アーティスティックナイト( FM福岡)、水の中のオアシス(FM横浜)
CM:TOYOTA、協和発酵KIRIN、MENARD、東レ、BRIDGESTONE、NTTデータ通信、住友3M、HONDA、アサヒビール、三井海上、積水ハウス、サンスター、三共製薬、JTB、他多数
CM出演:日本たばこ ピースライト、ギャラクシー企業イメージ

本文

溝口肇さんにインタビューさせていただきました。

――チェロを始めたきっかけを教えてください。
3歳半からピアノを始めました。私は覚えていませんが、母はカラヤンをテレビで観ている私を「この子は!!」と思ったらしいです。小学校2年生ぐらいまではピアノがとても上手で“神童”と呼ばれており、母は「これだけピアノが弾けるのだからプロにさせよう」と思っていたようです。しかし何度か引っ越しをしてピアノの先生が何度も替わったことがきっかけで、他の楽器に興味を持ち始めました。私は11歳になっていました。1人で弾くピアノは寂しいので、多くの人と演奏できるオーケストラ楽器に興味を持ち、オーボエかトロンボーンをやろうと考えていました。しかし母が実家から歩いて4分ほどのViolin教室に、プロにさせることを前提で相談に行ったところ「プロになるのであればヴァイオリンは3歳から始めないといけないが、チェロなら11歳でもまだ遅くない」とアドバイスを受け、そのままチェロに切り替えることになりました。ちょうどパブロカザルスが国連議会場で鳥の歌を演奏したときでもあり、それをテレビで観たこともチェロを始めるきっかけにもなりました。

――プロフィールを拝見するとロックをやられていたようですが、それはいつ頃ですか?
中学・高校時代は髪を伸ばし、毎日放課後にロックバンドをやっていました。同好会を作り音楽室を使える許可ももらっていました。

――チェロの道に進もうと思われたきっかけが何かあったのですか?
チェロがかなり上達した中学の終わりに、チェロの先生から「藝高(東京藝術大学音楽学部 附属音楽高等学校)を受験してみないか」と提案され、急遽受験してみました。実技試験は受かりましたが、音楽理論の試験で落ちました。受験準備を何もせずに受けたのですが、先生は“実技試験で受かる実力があるか”を見極めたかったようで、藝高に落ちた経験から藝大(東京藝術大学)を目指すようになりました。それでもロックバンドは趣味として続けていました。クラシック音楽も好きですがどちらかと言うと音楽の「勉強」でありましたが、ロックは「遊び」として大事にしていました。

――ロックで培われたご経験が、いろいろな曲のアレンジに繫がっているのでしょうか?
非常にそう思います。私の音楽性の元と言っても過言ではありません。青春時代に聴いていた音楽というものは、その後の音楽的自己を形成する上で、大変大事なことだと実感しています。もちろん好きな音楽ですから、大学在学中からポップスの仕事はしていました。当時“ストリングス セクション”という形での仕事が多く、ツアーで日本中を駆け巡っていました。その頃アレンジの勉強のために録音機を購入し、シンセサイザーを使用して多重録音もしていました。クルマの事故でむちうち症になったことから、自分の為に“眠るための音楽”を作り始めたのも、この時期です。

――多くのチェリストの方が主にクラシックをやっている中で、溝口さんはご自身のポジションを築いていらっしゃり、素晴らしいと思います。
大学時代、周囲の人たちの演奏レベルは、手に取るようにわかりました。それと私を比べることも多くあり、私のレベルではクラシックのソリストにはなれない、ということも何となく理解していました。しかし私はソリストを目指して藝大に入ったのですから、音楽の枠にとらわれない自分のスタイルでソリストになりたい、という夢は持っていました。もちろん勉強ではクラシックを弾かなければなりません。バッハやボッケリーニ等、同じ課題曲で皆が勉強をしますが、その中では楽曲や作曲者に対して好き嫌いの想いも強く、少しずつクラシック曲から気持ちが離れていたのかもしれません。
大学在学中ポップスの仕事やオーケストラの仕事もしましたが、私はその他一人という立場で、舞台後ろの暗いところで弾いていました。そこから見るステージ中央はスポットライトを浴びて明るく、とても良い場所に想えました。ソリストとして勉強してきたのだったら、やはり中央に立ちたい。しかし、クラシック音楽で自分を表現するのは何かが違う…では、どうしたらステージの中央で、自分の満足できる音楽で自分を表現できるのかを考えた結果、今までにない新しいものを作れば良いと思い、シンガーソングライターのように自分で曲を作り自分で演奏をするスタイルを始めました。人のやっていないことが私の中でのキーワードで、今では当たり前になってしまいましたが、コンピューターを使い家で多重録音を行い、デモテープをたくさん作ってプロデューサーに売り込みをしました。

――そのように発想を変えていくことは難しくありませんでしたか?
 最初は“逃げ”の発想かとも思いましたが、ものを作り始める(作曲)ことをしてステージの中央に立つということは、とてもクリエイティブなことで楽しいものです。明るい場所に行きたい、という単純な発想から私は動き始めたわけです。

――それでは好きな作曲家はどなたですか?
近代のフランスの作曲家、ラヴェルやフォーレは大変好きです。バッハも好きです。バッハの無伴奏チェロ組曲は練習としていつも弾いていますが、飽きることがありません。
クラシック以外ですとロック、ポップス、ジャズ等々、本当に素晴らしい作曲家が多いので、数えきれません。

――“ステージの中央に行きたい”というのは、前に立つことがお好きなのでしょうか?
好きです。ただ、前に出たいという気持ちはもちろんですが、現在では作る側の裏方としての喜びも大きいので、役割が多くなっています。作曲を含めて何かをコントロールしていたいのです。一見(一聴)してはわからないけれども、実は私が全体をコントロールしている、というのが好きです。

――溝口さんはチェロの演奏活動だけではなく、曲を作り、演奏し、物品の販売もされて、多様なことをやっていらっしゃいますが、その原動力は何ですか?
新しいことをするのが好きなのだと思います。もちろん、物品販売やCD制作などは誰もがやっていることですが、始めるときは誰でも初めての経験ですから、とてもワクワクして楽しいものです。それが原動力かと思います。
2015年にピアニストのプロデュースをしました。“人生のBGM”という名目で、朝起きた時や寝る時、車の中で聴きたいと思えるピアノ曲を集めました。また、私の個人的なクラシック嫌いを克服する為にも、選曲には時間をかけ本当に好きで素敵な曲を集めました。モーツァルトも選曲しましたが、基本的にはあまり古いものは入っていません。
完全に裏方に回ってアーティストをプロデュースする、ということを経験したかったのです。アーティストの良いところを引き出し、私が思い描く世界を一緒に作りたい。そんな想いから始めたのですが、結局10ヶ月程もかかってしまいました。完全な世界を作り上げたかったので、リハーサル、ディレクション(演奏の指導)まで全て行い、隅々まで気を配り、PVまで制作し、いつ聴いても聴く人の心に寄り添うアルバムを作れたと、自負しています。優れたアルバムを作るには優れたコミュニケーション力、十分な時間、折れない気持ちが必要と痛感しました。

――現在様々な活動をされていますが、今後どのようなことに力を入れていきたいですか?
様々なことを全てやってきましたが、やはりチェロが上手くなりたいと考えています。常に良い音を出したいと思っています。常にそんなことばかり考えています。それから今までの経験を生かしたプロデュースも、多く進めていきたいと考えています。もちろん作曲とチェロ演奏は、私のベーシックで人生そのものですから、出来る時までは魂込めてやります。

――“出来る時まで”といっても、20年以上はチェロ演奏もお続けいただけると思っておりますが。
どうでしょうか?弾き続けているでしょうか…20年後、75歳で今以上の音が出せていたら、喜んで弾いていることでしょう。 音楽家の方に聞きたいのですが、いつ自分の演奏を終えるのでしょうか。いつプロであることをやめるのでしょう。とても難しい問題ですね。

――年齢と共に左手の指回りは衰えるが右手は上達していく、と昔聞いたことがありますが。
筋力は年齢と共に落ちていきますから、無理な力が入らなくなるのが良いのではないでしょうか。あとは人生経験が豊富となり、音楽で語りたいこと、表現したいことが豊富になる為に「音楽」そのものは素晴らしくなると考えています。 

――溝口さんというと「世界の車窓から」のイメージが強いのですが、あの曲はどういう思いで作られたのですか?
テーマ曲は友人のディレクターから頼まれて作りました。元々私は鉄道マニアですので喜んで作りましたが、当時、世界の列車には乗ったことがありませんでしたので、曲は想像の世界の中からです。アレンジの中にはレールをたたくような音や、鉄道のレールのつなぎ目の“タタンタタン”というリズムを入れた“遊び”が入っています。

――「世界の車窓から」以外にもたくさん曲を書かれていると思いますが、どのくらい書かれたのでしょうか?
自分でも数え切れないほどです。テレビの15秒くらいの短いものなども入れて、たぶん3000、4000曲は作っています。自分の中で思い入れの強い曲はいくつかありますが、それが売れたかどうかはまた別です。「世界の車窓から」も1987年に作りましたが、10年間誰も見向きもしませんでした。番組の10周年記念パーティでテーマ曲を弾くことになり、急遽きちんとした1曲にまとめました。テーマ曲は10秒程で完成されていましたから、1曲としてまとめ上げるのは大変な作業でした。曲として完成したのをきっかけにCD化され、番組にも「テーマ曲:溝口肇」と毎日テロップが入るようになりました。今まで何百回と演奏してきましたが、私の代表曲として多くの人から認知され愛されているのは、本当に嬉しいことです。「あっ!知っている!」と言う声が聞こえてくるのが、本当に嬉しいです。

――ドラマの曲もたくさん作られていますが、どのように曲を作るのですか?
台本を見て、“音響監督”という方と、プロデューサー、ディレクターと皆で集まってテーマ曲のイメージを固めます。その後デモ曲を作って、また相談をして音楽のイメージを作っていきます。ドラマを撮っている最中の時もありますし、クランクイン前の時もあります。

――3000、4000曲も作っていたら曲が似てくることはありませんか?
似ていることがたぶん、溝口肇というカラーかと思います。似ていることはダメでしょうか…?全部違う音楽にすることは、私には無理かと思います。それより、音楽を聴いた瞬間「あっ、溝口肇だ」とわかってもらえるのはとても嬉しいので、カラーは大事かと思います。ただ個人的には、過去に作った曲はあまり覚えていないのです。お店のBGMで「チェロの曲だな」と思いながら音楽を聴いていて、しばらくしてから自分の演奏だと気付くということはよくあります。

――楽器には「アンジェラ」という名前が付いていると伺いましたが、どのように付けられたのですか?
友人が名付けてくれました。私は、楽器は女性と考えることが多いので、とても良い名前をつけてもらったと思っています。しかも名前と楽器の性格が合っているとも思えます。イタリア生まれですし。

――お仕事をされていないときは何をされているのですか?
仕事をしていないときは、ほとんどありません。しばらく時間が空いたとしても、頭の中では1ヶ月、2ヶ月後の〆切のことをずっと考えていますし、音楽制作用のコンピューターのメンテナンス、オーディオや楽器のメンテナンス等々、音楽から離れることはありません。
趣味としては最近はコーヒーに凝っています。美味しいコーヒーが大変好きです。もともとコーヒーを飲むことは気分転換だったのですが、もっと美味しいコーヒーを飲みたいと思い始めて、今では自分で焙煎までしています。15分ほど台所のコンロの前でコーヒー豆を網に入れて振り続けるのですが、音楽以外のものに集中して頭が空っぽになる瞬間は、何にも優る気分転換となります。生豆を何処まで焙煎するのか、豆の色と香り、豆が出す音に集中して火を止めるタイミングを極めます。その作業がとても面白く、上手く焙煎できたときのコーヒーの味は格別です。
バーでお酒を飲むのも好きです。お酒はそれほど飲めないのですが、雰囲気とそこに集まる人が好きで、知らない人とも良く話もします。もちろん知っているお店でゆっくりするのも、良い気分転換になります。シングルモルト、マルチニーク島のビンテージラム、もちろんワインも好みです。それらを30分以上かけてゆっくり飲むことが、至福の時となります。
また、レコードにも最近凝っています。音楽制作としてはデジタルの究極であるDSDという方式を使っていますが、青春時代に聴いてきたレコードを今聴くことは、また何とも言えない時間なのです。少しずつ機材も良くして音を良くして…オーディオの世界も何処まで行っても最終的な「答え」がないので、答えを探している時間がとても楽しいのです。
音楽を作ったり演奏したり人生を生きるのも、全ては何かしらの答えを探していることであり、その探す課程がとても楽しいので、私は「続けている」のだと思います。探すと必ず答えがあり、それがまた何かを探すきっかけとなっていく。その連続ですね。

――溝口さんは感覚が研ぎ澄まされている、と感じるのですが、チェロを弾くのも曲を作るのも感覚的にできてしまう部分もあるのでしょうか?
音楽は“言葉”だと思います。ボキャブラリーや人生の経験による様々な感覚をどれだけ持っているかで、音楽が形成されるのかと思います。演奏も作曲も全部そうで、頭の中では言葉で気持ちを表し考え、それが音となります。ですから自分がどう弾きたいか、強く弾きたいのか、その強さはどういう強さなのか、ヒマラヤ山脈のようなキリリと緊張感をもった強さなのか、富士山のようななだらかな強さなのか、等々。はっきりとは意識していませんが、言葉(思考)で身体は動いていくのではないかと思っています。
感覚という言葉をよく使いますが、それはその人の経験など生き方によって培われたもので、言葉で考えていることを意識する前に感じている部分、だと思っています。思考の積み重ねがあり、その結果が感覚を作り上げていくのではないかと。プロはチェロを弾くときもただ音を出すのではなく、どんな音を出したいのか、演奏にしたいのか、を頭の中で無意識で判断しています。でもその無意識はその音楽家の人生そのもの、とも言えるのだと思います。
言葉で身体を意識する為には、練習する時に「今日は右手の移弦の滑らかさを練習しよう」と自分に宣言すると、上手く行くのではないかとも考えています。
全ては、良い音は?、良い音楽は?、と答えを見つける為の楽しい捜し物をしている、と言えるでしょう。

――貴重なお話をありがとうございました。

2015年11月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2016年2月2日現在のものです。
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