Home » チェロ奏者のご紹介 » 花崎 薫(はなざき かおる)

花崎 薫(はなざき かおる)

category : チェロ奏者のご紹介 2015.9.29 

プロフィール

東京藝術大学在学中、ドイツ学術交流会給費留学生としてベルリン芸術大学に2年間留学。同大学卒業後、東京藝術大学に復学し卒業。東京藝術大学在学中に安宅賞を受賞。1981年、第50回日本音楽コンクール、チェロ部門第3位入賞。1986年、文化庁在外研修員としてドイツ、カールスルーエ音楽大学に留学。この間、堀江泰氏、E・フィンケ、M・オースタータークの各氏に師事。1989年、エルデーディ弦楽四重奏団を結成、ドイツ、フランス公演を行うなど意欲的に活動している。長年にわたり、新日本フィルハーモニー交響楽団の首席チェロ奏者として、井上道義、S・ゴールドベルク、小澤征爾、C・アルミンクなど歴代の指揮者のもとで、オーケストラを支えた。ソリストとしても、R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」などで同交響楽団とたびたび共演。現代音楽のアンサンブル、東京シンフォニエッタのメンバーとしても活躍し、2007年、同シンフォニエッタの定期公演でリゲティのチェロ協奏曲を演奏して高い評価を得た。2011年、新日本フィルを退団し、現在、愛知県立芸術大学音楽学部教授。武蔵野音楽大学においても後進の指導にあたっている。2011年6月、所属する東京シンフォニエッタがサントリー芸術財団の佐治敬三賞を受賞。2013年、ベートーヴェンチェロとピアノのための全作品のCDを発売。またメンバの一人を務めるエルデーディ弦楽四重奏団は、ハイドン、メンデルスゾーン、シューマンの作品のCDを発売している。

花崎先生 本文掲載用

花崎薫さんにインタビューさせていただきました。

――チェロを始めたきっかけを教えてください。
うちは両親とも音楽家ではないんですけれども、父親がクラシックのレコードを聴くのが好きでよく聴いていたり、ラジオのクラシック音楽番組が家で流れていたので、音楽は好きだったんです。好きなレコードを擦り切れるくらい聴いていました。それで親にチェロを与えられて、全然抵抗なくやり始めましたね。

――ご自身としてはチェロが特に好きだったとかそういうことではないのですか?
小学校の1、2年生だったのでその辺の記憶はあまりないんです。でも、レコードから流れてくるチェロの音色は好きだったと思います。
僕は小田原(神奈川県小田原市)出身なんですが、あの当時朝日新聞がジュニアオーケストラを持っていて、今は「ジュニアフィル」というオーケストラがあるのですが、それを新聞の広告で見て母が応募したんですね。オーディションがあって受かったので、小学校4、5年生ぐらいから毎週日曜日に東京へ行き始めて、東京でトレーナーの先生からチェロを習ったんです。東京に行く前は、近所のアマチュアの方にちょっと手ほどきを受けたりしていました。

――新日本フィルハーモニー交響楽団(以下、新日フィル)に長く在籍されていたと思うのですが、2011年に愛知県立芸術大学(以下、愛知県芸)の准教授になられるにあたって、オーケストラへの未練はなかったのでしょうか?
新日フィルは25、6歳の時から2011年までなので、26、7年やっていました。
新日フィルをやめるにあたっては、すごく考えました。愛知県芸の常勤になるということは名古屋まで来ないといけなかったので生活がすごく変わりますし、非常勤講師と違って常勤になると室内楽やオーケストラの授業もありますし、それから会議など大学の運営に関わらないといけないので違う仕事も増えてきます。
ただ、エルデーディカルテットや東京シンフォニエッタ、東京クライスアンサンブルはその頃もやっていました。オーケストラ(以下、オケ)も大阪フィルハーモニー交響楽団の客演の仕事をここ3年ぐらいやっているので、月に1回行くか行かないかぐらいでレギュラーではないですが、オーケストラも続けていると言えば続けているんですよね。

――ご決断された最大の理由はなんだったのですか?
新日フィルを指揮されていていた方で、シモン・ゴールドベルグという本当に素晴らしい音楽家がいらっしゃったのですが、その頃シモン・ゴールドベルグのような戦前戦後を通して活躍されていた方が何人かお亡くなりになられたんです。1つの時代は終わったな、と思っていて、次はどんな指揮者がいらっしゃるんだろうと考えても、僕より下の世代の方も増えましたし、ちょっと時代が変わるな、という感じがしていたんです。そこに愛知県芸の話がありまして、まあオケも25、6年やったし、そろそろ違う環境に身を置いてもいい頃なのかな、というような漠然とした気持ちがありました。その時は50代になっていましたので、そろそろ転機なのかな、と。教えることも好きでしたし。でもたぶんこれが40歳過ぎだったらまだ考えなかったと思うんですよね。

――エルデーディカルテットや東京シンフォニエッタ、東京クライスアンサンブルは当時からやっていらっしゃったということですが、オーケストラや室内楽など様々な分野でご活躍ですが、楽しみ方は違うのでしょうか?
チェロという楽器はバロックの曲では通奏低音を受け持ちますよね。古典派以降だったらカルテットですとか、それからソロのレパートリーもありますし、オーケストラでも重要なポジションにいます。チェロはいろんなカテゴリーの中ですごく重要な役割を担っている楽器なので、僕はそれを全部やりたかったんです。
オケのレパートリーには素晴らしい曲はたくさんあります。新日フィルをやめてから4、5ヶ月ぐらい経ったときに久し振りに新日フィルにエキストラで出演したことがあるんですが、そこでブルックナーをやったんです。ああいう響きはやっぱりオケじゃないと体験できないので、やっぱり僕はオケをやっていてよかったな、とその時思ったんです。それから例えばブラームスのピアノコンチェルト2番の3楽章のようなソロはオケでも頭に座って(首席奏者)いなければ弾けないレパートリーです。だから有名なソリストでもあの曲は弾けない。
だからと言ってオケだけだとカルテットのレパートリーとは全然違いますし、モダンのオケはなかなかバロックの作品などやらないので、そういう仕事もしたかったんですよね。だからバロック仕様の楽器も持っています。いろんな分野のことをやりたかったんですよね。
以前にマーティン・オースタータークというチェリストと日本で一緒に仕事をしたことがあるんです。「バッハアカデミー」という、ヘルムート・リリンクが来日してバッハの講習会を行い、毎晩演奏会をやるフェスティバルだったのですが、僕はその時、彼と一緒にカンタータとか受難曲をたくさんやりました。彼は本当に素晴らしかったんです。通奏低音はバロックでは一番要になるポジションで、そこが音楽を支えているのですが、それが本当に素晴らしくて。それで彼のところに習いに行ったんです。彼はその当時「南西ドイツ放送」という放送オーケストラの首席の方で、ソロ活動もたくさんやられていたし、バロックもやられていた。日本人でそこまで広くレパートリーを持っていらっしゃる方は少なかったんですよね。特にバロックの通奏低音を弾く方は今と違ってあの頃そんなにはいなかった。だから僕はそういう世界を全部やりたいな、とは思っていました。

――チェロを弾いている時に楽しいと思うときはどんなときですか?
練習の時は大変ですから楽しい作業ではありませんが(笑)。やっぱりベートーヴェンなりモーツァルトなりどの作曲家でも、その作曲家の持っている素晴らしさに触れたときですよね。チェロの音色というのはすごく好きですが、やっぱりヴァイオリンにはすごく憧れますし、表現においてヴァイオリンにはとてもかなわないと思うところはあります。ヴァイオリンのきらびやかな輝かしい音色に比べるとチェロはどちらかというと少し暗いですよね。だからこその魅力はすごくあるんですけれど。
練習で曲を作り上げていくという作業は、楽しい事よりも辛いことが多いですね。一人孤独に積み上げる世界。一種アスリートの世界と同じなのかもしれません。でも不思議なものでずっと練習していて、ある時急にわかる時があるんですよね。その瞬間はやっぱり喜びですよね。
新日フィル時代にシモン・ゴールドベルグと最後にやったのはシューベルトの5番とバルトークのディベルティメント、シューマンの4番だったんですが、彼は、彼の中にある音楽全体を作り上げるためにいろんなパーツを一つ一つ磨き上げて行くという作り方をするんですね。だから細かい作業がすごくたくさんあるんです。非常に厳しい方ですから、妥協をされないんですよね。彼の中にはちゃんとビジョンがあるのですが、あまりにも何度も繰り返し同じことを仰るので、しまいには何が違うのかわからなくなってしまうくらいでした。プロのオケは通常は3日間の練習で本番なんですが、彼は最低1週間の練習を要求して、それがものすごく長いんですよね。同じことを何回もやる。だから楽員の中にはそれを不満に思う人もいました。でも彼の仰ることはやっぱりなにか違う。それでようやく本番で演奏した時に、「こういう音楽を彼は作ろうとしていたのか」とわかった瞬間は、本当に感動しました。細かいものがつながって1つの大きな構築物ができ上がるんです。僕が新日フィルにいて一番音楽に対して感動を覚えたのは、彼と一緒にオーケストラとして音楽を作り上げることができた喜びを味わえたことなんです。

――演奏会を開く時に一番大事にされていることはなんですか?
やっぱり、作曲家が書いたものをちゃんと表現することですよね。それは“花崎薫”という人間はたぶん出るんでしょうけれど、楽譜を通じて作曲家が何を考えているかとか、何を表現したいかを自分が媒体となって聴衆に伝える、それが一番やるべきことだと思っています。それは例えば、歌舞伎と文楽は同じ演目をやりますが、歌舞伎だと役者のキャラクターが前面に出るので、もちろんそれがいいのですが、例えば団十郎なり吉右衛門なり、その役者たちを観に行くわけなんですが、文楽だと人形が演じますから、役者を観に行くということはないんですよ。だから却ってリアルに物語そのものが直接人形を通じて出てくるというところがあるんですよ。

――2015年9月の宗次ホールでの演奏会では、ベートーヴェンやメンデルスゾーン、シューベルトなど有名な作曲家の曲を演奏されていらっしゃいましたが、どのように曲を選ばれたのでしょうか?
そうですね、例えば、今回一番基にあったのはベートーヴェンなんですが、以前にベートーヴェンのソナタのCDを作ったのでそこからまた展開したものをやろうかと思って、まずベートーヴェン。彼はそれまでの古典の“チェロとピアノのソナタ”とは全然違うものを作り上げたんです。昔は、例えばバッハだったら、チェロソナタはありませんがガンバソナタだったらガンバの通奏低音をチェンバロが弾くというように、立場がはっきり分かれていました。古典派の作曲家であるボッケリーニとかハイドンは特定の名人が弾くために曲を書いていますよね。ボッケリーニは自分でもチェロを弾きますし、ハイドンもチェロの曲を作っていて、チェロが“ソロ”で、伴奏は“伴奏”というふうに曲を書いています。ところがベートーヴェンはそれらの楽器を対等に扱う曲を作った。それぞれの楽器を同じ土俵に上げるということをしたのは彼が最初です。そしてメンデルスゾーンはベートーヴェンのことを非常に研究して、作品にも影響を受けているのでメンデルスゾーンも取り上げようと思いました。それからメンデルスゾーンとシューマンは友人関係にあったので、シューマンもやろう、と。シューマンはブラームスのことを非常に認めてブラームスを世に出そうとしていたし、ブラームスはロマン派の頂点に立つ人ですからブラームスを入れました。
それでそういうプログラミングになったんです。ですから、フランスものをやったりドイツものをやったり、バラエティーに富んだプログラム構成にすることもできますが、今回は全部好きな曲でもありますし、そういう流れの中で作品を弾きました。

――舞台に上がる時はどのような心境で上がられているのですか?
なんとなくふっと舞台に上がって弾いて、本番の途中で怖くなった経験が何回もあるんです。だから舞台に上がる前が僕はすごく大事で、舞台に出るだいたい10分ぐらい前から舞台の袖にいるんですが、舞台で弾くのと同じ高さのイスに座って、楽器を構えていますね。気持ちが楽器を弾く状態になるように持っていくというか、舞台で弾いているのと袖にいるのと同じ精神状態になれるように作る。チェロを構えて落ち着かせているイメージというか。それがなんか中途半端だと、弾いているうちに怖くなったりする。「この感じでいいのだろうか」と、ふっと舞台上で思ったりすると、もう非常に怖くなりますよね。若い頃は勢いで行くようなときもあったんですが、今はそういう感じで静かにしていますね。人ともしゃべらない(笑)。
それからやっぱり靴も大事で、本番にはこの靴しか履かないという靴があるんですが、足元が落ち着かないと嫌なんですよね。ゲネプロ(ゲネラルプローベ:直前の全体練習)の時に本番の靴を履いているという演奏家や指揮者は何人もいましたね。
前にテレビでロストロポーヴィッチのドキュメントの番組をやっていて、彼は「作曲家と1つになることができれば本当に素晴らしい」と仰っていて、例えばアルペジョーネソナタを弾いて、「シューベルトと1つになることができたら手が震えるなんて関係なくなるんだ」と仰ったんですね。ということは彼も手が震えるんです。だけどそれを超える意志の力はすごいものがある。その辺りがああいう音楽家たちはすごいというか、すっごく大きな存在。ロストロポーヴィッチも新日フィルによくいらしていたので彼と接する機会は多かったのですが、彼はリハーサルの時に舞台に入ってきただけで全然雰囲気が変わってしまう。「お~マイフレンド!」と言いながら入ってくると、みんなの気持ちがスーッとそこに行っちゃうんです。彼は亡くなる3ヶ月ぐらい前に、新日フィルでショスタコーヴィッチのシンフォニーを振ったんですが、病気でお昼もあまり食べられないようでつらそうだったんですが、リハーサルが始まると我々のエネルギーを吸い取っていくように見えるくらいどんどん元気になっていきました。あれはすごかったですね。

――やはりそういう印象に残る演奏というのはあるんですね。
ありますね。そんなにたくさんはないんですが、それは強烈に印象に残っています。だからオケをやっていてそういう場面に立ち会えたのはすごく幸せでした。

――チェロを学ぶ若い人たちに今後期待することはありますか?
期待すること…今は日本人にも将来を期待される若手のチェリストがたくさんいらっしゃいます。僕は今56歳ですが、シモン・ゴールドベルグとか、チェリストでしたらフルニエやトルトゥリエ、ジャンドロンとか、その世代のやっていた音楽を肌で感じることのできたギリギリの世代だと思うんです。たぶん今だったら録音でしか知ることができないし、最近は中にはフルニエという名前を知らない学生もいるぐらいです。その頃の人たちの作り上げる音楽は本当に素晴らしくて、作曲家が書いたものを表現しようとしていながら、でも個性もはっきりとある。30年前の音楽がどうだったかという、そういったものが伝統として受け継がれていくといいなと思います。やっぱり伝統的なことを知らないと先に行けないですよね。いきなりゼロから何かを作り上げることはできないですから、伝統的なものをちゃんと踏まえて新しいものを作っていってほしいな、と思っています。

――貴重なお話をありがとうございました。

2015年9月取材
※インタビュー内容・写真は取材当時のものです。
※プロフィールの内容は2015年9月29日現在のものです。
※掲載中の文章・写真の無断転載を禁じます。

on music project

Copyright(c) 2015 チェロカフェ All Rights Reserved.